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ヨガと瞑想

2014.9.15

「寄生獣」田村玲子の名言に見る仏教の世界観

渡邉 寧 | 株式会社かえる代表取締役

■ヴィパッサナー瞑想の目的

前回までの2回の記事で、ヴィパッサナー瞑想がもたらす効果の話をしてきました。

その中で、この瞑想法の目的は2つにわけて考えると方がわかりやすいという話をしました。

その二つとは、

  1. 死ぬための準備をする
  2. 現世を心穏やかに過ごす

です。

前回記事では「1.死ぬための準備」としてのヴィパッサナー瞑想の効果については触れませんでした。これは仏教の「解脱」の考えに基づいており、万人にとって理解しやすい話ではないと考えたからです。

この記事では、一つだけ、「解脱」について思ったことを書いておきます。私はこのコースに行くまでは解脱の意味は良くわかってしませんでした。しかし、コース中に「もしかしたら解脱とはこういうことなのかな」と思ったことがあります。

10日間コースでは毎夜S.N.ゴエンカ氏の法話があります。1時間以上の法話で長いのですが、内容は面白いです。色々とインスピレーションを得ました。(内容は春秋社から出ている「ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門」という本に纏められています)

■悟りと寄生獣


「寄生獣」という漫画があります。1988年から1995年まで月刊アフタヌーンに連載された漫画です。今年テレビアニメ化/映画化されるそうなので、知っている方も多いかもしれません。

人間の頭に寄生して人間を食べる寄生獣と、ひょんなことからその寄生獣に右手に寄生された主人公新一の戦いを描く漫画です。この漫画には様々な寄生獣が登場するのですが、その中に「田村玲子(田宮良子)」という寄生獣がいました。

田村玲子は頭脳明晰で哲学的な問いを持つ変わった寄生獣でした。「なぜ寄生獣は生まれてきたのか?」という問いを持ち続け、大学に通い、高校教師をしていました。宿主の人間の生殖機能を使って子どもを生むなど不可解な行動を取る寄生獣でもありました。

この田村玲子が死ぬシーンがあります。このシーンは、私にとって寄生獣の漫画全体の中でも3本指に入る極めて印象的なものでした。高校生くらいでしたでしょうか。私が初めてこの漫画を読んだ時、感動のあまり、血肉が飛び散るスプラッター場面を読みながら涙するという不思議な体験をしました。

どうして、田村玲子の死のシーンにあれだけ感動したのか。長い間、その理由がわかりませんでした。しかし、ヴィパッサナー瞑想での法話を聞きながら、私は「ああ、田村玲子は悟りを開いて死んだんだ。その解脱の境地に感動したんだ」とようやく理解するに至りました。

死のシーンで、田村玲子は追手の警察官の集中発砲を受けます。田村玲子はなぜか反撃せず、人間のわが子を体で守り、深手を負った後で主人公の新一に近づいてこう言います。

ずうっと・・・考えていた・・・
・・・わたしは何のためにこの世に生まれてきたのかと

1つの疑問が解けるとまた次の・・・
疑問がわいてくる・・・

始まりを求め・・・終わりを求め・・・
考えながら、ただ・・・ずっと歩いていた・・・

どこまで行っても同じかもしれない・・・
歩くのをやめてみるならそれもいい・・・

すべての終わりを告げられても・・・
「ああ、そうか」と思うだけだ

(*太字/下線は筆者加筆)

その後、守り抜いた自分の人間の子供を新一に託し死んできます。

その死に顔は非常に穏やかで微笑みさえたたえた安らかなものなのでした。

悟りとは一切の執着から解き放たれた状態です。自分の生に執着せず穏やかに死んでいく。法話を聞きながら田村玲子の死の場面を思い出し、「ああ、あれが解脱か」と理解しました。

田村玲子は、「我々(寄生獣)はなぜ存在するのか」という問いを持ち続け、「人間と寄生獣はあわせて1つ」という結論に至ります。私が高校生の時に初めて読んだ時はこの意味がわかりませんでした。今は、これは所謂「涅槃(ねはん)」という世界観のことを言っているのだと理解しています。

田村玲子は、寄生獣といて生まれながら明晰な頭脳で自身と人間を観察し、ついに悟りを開いて涅槃の世界に入っていったのだと思います。

■死ぬための準備としてのヴィパッサナー瞑想

ヴィパッサナー瞑想を続けていくと、自分に執着しない精神状態になるのだと思います。近づいてくる死を目の前にしても心の平静を保ち続け、死の瞬間でさえ「ああ、私の生はいま終わりました」と認識し人生を閉じる。それは死ではなく解脱であって、その先には涅槃の世界が待っているということなのだと思います。

仏教思想は複雑で、私は長い間その世界観が今一つつかみきれずに居ました。一方で、様々な文学作品やサブカルチャーの作品が仏教的世界観の影響を受けています。その為、何とかして腹落ちした仏教の世界観の理解がしたいと願ってきました。

ヴィパッサナー瞑想を経て、ようやくその全体像を理解し始めたように思っています。この瞑想は体験学習の要素が強く仏教的世界観を体験的に理解する上でも非常に有用な経験でした。

著者プロフィール

渡邉 寧YASUSHI WATANABE

慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡りマーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。 2014年に独立し、現在は「人と組織が変わること」に焦点を絞ったコンサルティングに取り組んでいる。プライベートではアシュタンガヨガに取り組み、ヨガインストラクターでもある。株式会社かえる代表取締役。

プロフィール詳細

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