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2026.2.17 NEW

AI時代に「自分で書く」教育はまだ必要か? プログラミングの全自動化から考える – 歩きながら考える vol.230

渡邉 寧 | 京都大学博士(人間・環境学)

今日のテーマは、AI時代の文章教育について。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。

こんにちは。今日は2月14日の日経新聞の記事を読んで、ちょっと考え込んでしまったことを話してみようと思います。テーマは「プログラミングが全自動に」という記事から始まって、文章教育の未来まで飛躍した話です。歩きながら、ゆるくお付き合いください。

プログラミングの世界で起きていること

きっかけは、2月14日の日経新聞の記事です。「プログラミングが全自動に」という見出しで、マスク氏が2026年末にはコーディングさえ不要になると予測しているという内容でした。

極論に聞こえるかもしれませんが、現場の変化はすさまじい。約1年前に「バイブコーディング」という言葉が出てきた時には、「趣味なら使えるけど、ビジネスでは無理でしょ」というニュアンスがありました。適当なっていうか、ノリでやってるみたいな。ところがこの1年でAIのコーディング能力が急激に上がり、記事によれば、バイブコーディングの造語を作った著名エンジニア自身が、AIにコードを任せる割合が2割から8割に急上昇したという。スポティファイのCOOも、自社のトップ技術者が12月以降コードを1行も書いていないと明かしています。エンジニアの仕事は、AIが生成したコードを監督するだけになりつつある。

たった1年で、ここまで状況が変わるのかと。

で、僕がずっと思っているのは、今はこれでいいんですよ。今のトップエンジニアたちは、自分でもコードが書ける。下積みの時代に自分で書いてきたからこそ、AIのコードの整合性をチェックしたり、設計全体を見渡したり、フィードバックを出したりできる。

だけど、これから入ってくる人たちは、一切コードを書く経験をしない可能性が高い。そういう人が、果たしてAIを監督できるレベルに到達するんだろうか。もし到達しないなら、システム開発をまるっとAIにお任せするしかなくなって、すべてがブラックボックス化する。人知が及ばなくなる。

コードの次は「文章」が来る

で、ここからが本題なんですけど、プログラミングの世界で起きているこの変化、次に来るのは文章の世界だと思うんですよね。

考えてみれば、文章もコードも文字データの組み合わせです。文字の並びによって何らかの意味を作り上げていくという意味では、構造的にはほとんど一緒。実際、今でも文章作成をAIに任せて、人間はダイレクションを出すという役割分担がかなり進んでいます。

僕のメインのAIはClaudeなんですが、Claude 4.5、4.6のあたりから、ダイレクションの回数がかなり減ってきました。1発で「これならこのまま出せるな」という文章を書く”打率”みたいなものが上がっていて、Claude 4ぐらいの時は3割ぐらいだったのが、今は多分5割以上ある。全く無修正で出すことはないんですけど、手を入れる必要性は確実に減っています。

でもこれ、僕が自分でダイレクションを出せるのは、自分で文章を書いてきた経験があるからなんですよね。語感の良し悪し、ロジックの繋がり、読者にとってのわかりやすさ。しかもロジックって、日本語と英語で違ったりする。日本の読者が読んだ時にすっと入る論理展開と、英語話者にとってわかりやすい構成って、ちょっと違うわけです。そういう文化に根ざした感覚も含めてダイレクションを出せるのは、子供の時から作文教育を受けてきたからだと思います。

じゃあ、小学校の頃からAIを使って文章を書く世代が育ったら、どうなるのか。

市場で売る文章であれば、AIに任せた方が速くて品質も安定する。プログラミングと同じ理屈です。だけど、教育に同じ効率の論理を持ち込んで、「短時間で課題をこなすこと」が評価される体制を作ってしまうと、書く力も読む力も育たなくなる。そして最終的には、まとまった文章コンテンツを構成して世に出すというスキルが、人類の手から失われていくかもしれない。

でも、本当に「自分で書く」教育は機能してきたのか?

ここまで読むと、「やっぱり教育は大事だよね」という話に聞こえると思います。AIを監督するには自分で書いた経験が必要だ、だから作文教育を守るべきだ、と。

僕もそう思う部分はあるんですけど、ちょっと立ち止まって考えたいこともあるんです。

私たちは電卓があるのに計算をさせられ、プログラミングがあるのに高校数学を教わり、AIがあらゆる歴史知識を持っているのに歴史の授業を受けてきました。そして、その教育が社会に出てから本当に役に立っていたかというと……正直、甚だ怪しい。物理、地理、古文。「教養として必要だから」という理屈で維持されてきた教科が、実際の仕事や生活にどれだけ活きているか。

もちろん、「計算の基礎がわかってないと電卓の答えが間違っていても気づけない」という反論はあるでしょう。各教科の知識というよりも、考える力として役に立っているのだという反論もありそうです。それはその通りです。でも、高校数学を学んだ人の何割が、社会に出てから数学的判断力を発揮しているか?獲得した考える力は本当に数学を学んだから身についたものなのか。 学びの過程と社会での実践の間には、あるようでないような、ないようであるような、ふわっとした関係しかなかったのが現実ではないでしょうか。

「AIを監督するために書く訓練が必要だ」という主張も、同じ構造に陥ってしまうのではなかろうか。これまでの教育が現場の実践と曖昧な紐づきしか持てていなかったのと同じように、「書く訓練」が本当にAI時代のダイレクション能力に結びつくかどうかは、そんなに自明じゃないと思うんです。

教育の目的を「再構成」する時が来ている

じゃあ、文章教育はいらないのかというと、そういう話でもない。

これまでの教育には「思考力を育てる」「社会の中で他者と協調する力を身につける」「社会を作っていく主体を育てる」といった目的がありました。それ自体は間違っていなかったと思います。ただ、その目的が抽象的だったがゆえに、具体的な教育課程との紐づきが曖昧になって、「役に立つのか立たないのかよくわからないけど、とりあえずやっておく」という状態がずっと続いてきたように、やっぱり思えてしまいます。

AI時代は、その曖昧さをシャープに突きつけてきます

「何のためにこの勉強をさせているのか」が、これまで以上にクリアに問われる。なぜなら、AIの存在によって「とりあえずやっておく」の部分をAIが代替できるようになるからです。残るのは、「本当に人間がやらなければならない部分」だけ。

そしてその「本当に必要な部分」は、これまでよりもずっと切実で具体的です。AIに振り回されたり、使われたり、蹂躙されたりするのではなく、AIを社会の中にうまく統合して、人類の繁栄のために使っていく主体を育てること。これが、AI時代の教育の目的になる必要があると思います。

文章教育で言えば、従来の目標は「正しい文章を書ける人」「良い文章を書ける人」を育てることでした。反論しようがないけど、目的としては抽象的すぎる。これからは、AIが出してくる超高品質な文章でさえ、それを評価し、ダメ出しし、修正の方向づけをできるレベルの文章力を身につけるということが目的になる。この基準はかなり具体的だし、ハードルも高い。でも、だからこそ「何をどの順番で、どのくらいの量やるか」を逆算して設計できるようになります。

まとめると、AI時代に「自分で書く」教育は必要か? 答えは必要だけど、目指すものが違う。「良い文章を書ける人」という抽象的な目標から、「AIの出力にダメ出しできるレベル」という具体的な基準へ。そして、これまでの教育が抱えてきた「学びと実践のふわっとした関係」を、AIの登場が許さなくなっている。教育の目的を再構成する――それが、今この時代に最も求められていることなのではないかと思います。

というわけで、今日は日経新聞のプログラミング記事から始まって、文章教育の未来まで歩きながら考えてみました。AIの進化が速すぎて、教育が追いつかなくなる前に、「何のために学ぶのか」を問い直すタイミングが来ている気がします。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。この記事が少しでも面白い・役に立ったと思ったら、ぜひいいねやフォローをしてくれると励みになります。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!

著者プロフィール

渡邉 寧YASUSHI WATANABE

慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡りマーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い。 経歴と研究実績はこちら

プロフィール詳細

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