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ブログ歩きながら考える

2025.12.22

AIを使うと幸福感が下がる? – 歩きながら考える vol.193

渡邉 寧 | 京都大学博士(人間・環境学)

今日のテーマは、幸福感が上がるAIの使い方について。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。

こんにちは。今日は年末の街を歩きながら、この1年ずっと感じてきたことを話してみようと思います。

大量のアウトプットをこなした1年、でも何かがすり減っている

振り返ると、今年はとにかくアウトプットに追われた1年でした。AIと文化に関する実験をして、分析して、論文を書く。大学のプロジェクトの報告書を作る。仕事では提案書を書いたり、契約書を作ったり。出さないといけないアウトプットが大量にあって、それをこなすためにAIをフル活用してきたんですよね。

AIを使うと、確かに作業は早くなる。文章を書くにしても、調べ物をするにしても、英語を使うにしても、AIを介することでアウトプットの質も量も上がる。そういう意味では、AIのおかげで何とか乗り切れた1年だったと思います。

でも、年末になって、ちょっと気になっていることがあるんです。なんか、すり減っている感覚がある。これは何なんだろう、と考えているうちに、「認知的オフローディング」という概念との関係で、自分の中の幸福感に起こっていることを捉え直すことができました。

認知的オフローディングと「すり減り」の正体

認知的オフローディング(Cognitive Offloading)というのは、本来脳内で行われる情報処理や記憶を、外部のツールや環境に委ねる行為のことです。メモを取る、リマインダーを設定する、検索エンジンで調べる、といった行為がこれにあたります。

実は、この現象はAIに始まった話ではありません。いわゆる「Googleエフェクト」と呼ばれる現象があって、検索エンジンの普及によって、人は情報自体を記憶しなくなり、代わりに「どこで見つけられるか」を記憶するようになったと言われています。計算機が出てきて暗算能力が下がった、車が普及して体力が落ちた、というのも同じ構造ですね。

で、僕が感じている「すり減り」の正体を認知的オフローディングという観点から少し掘り下げてみたいと思います。

知的な生産活動って、本来はこういうサイクルだと思うんですよね。インプットが入ってきて、それによって自分の認知それ自体が変化していく。その変化を伴いながらアウトプットが出る。そこに知的な満足感があり、成長の感覚があり、環境に対するマスタリー(制御できている感覚)が生まれる。それが幸福感につながっていく。

ここでいう幸福感というのは、心理学者キャロル・リフが提唱した「サイコロジカル・ウェルビーイング」、つまりユーダイモニック(eudaimonic)な観点での幸福感です。快楽的な幸福ではなく、自己成長や人生の意味、環境への適応といった要素から成る幸福感のことですね。

ところが、AIを使うと何が起こるか。アウトプットはこれまで以上の速度で、高いクオリティで出てくる。でも、自分のマスタリー感覚——環境に対する制御であるとか、自律性や成長といった感覚——を十分に感じることなく、アウトプットだけが流れていく。認知的オフローディングが起こっているから、自己成長感がないし、環境に対するマスタリー感覚が育まれることもない。

これが、僕が「すり減っている」と感じていることの正体なんじゃないかと思います。アウトプットは出ているのに、幸福度は上がらない。むしろ下がっている感覚すらある。

アウトプットフォーカス vs 在り方フォーカス

こう考えると、AIを使う時のリスクが見えてきます。

アウトプットだけにフォーカスしていると、確かにアウトプットは出る。それによって外部から評価されることもあるでしょう。仕事のアウトプットが増えれば、当然評価につながることはある。

でも、その人の内面では何が起きているか。サイコロジカル・ウェルビーイングにつながるような認知的変化、人間的成長といったものが十分に起こらない。外からは成果を出しているように見えても、内面ではウェルビーイングが下がっていく。これは結構まずい状態なんじゃないかと思います。

だから、「アウトプットを出す」ということと、「そのアウトプットを出せる動力を持っている自分の在り方」というのを、常にセットで考える必要があるんじゃないか。アウトプットフォーカスだけでなく、在り方フォーカスも持っておかないと、幸福なAI活用にはならない。そういう話だと思うんですよね。

在り方フォーカスがある人は、AIの使い方も違ってくる。AIを「オフローディング(負荷を下げる)」ツールとしてだけでなく、むしろ「ローディング(負荷をかける)」ツールとしても使える。AIと議論することで自分の思考を深める。AIが出した案を批判的に検討することで判断力を鍛える。あえて認知的負荷をかける設計を厭わない、という発想です。

来年に向けて:幸福感を意識したAI活用へ

というわけで、来年は自分自身の実践として、幸福感を意識したAI活用を模索してみようと思っています。

アウトプットを出すためにAIを使うのは、これからも続けていくと思います。でも、その中で「この作業はいったん全部自分でやり切ってみよう」とか「AIが集めてきた情報を自分の生きた知識にするための時間を取ろう」とか、そういう判断を意識的に入れていきたい。どういう条件だとAIを使うことが自分の成長にとってプラスになるのか、自分自身を実験台にして考えていきたいなと思っています。

その過程で気づいたことは、このブログでも共有していけたらいいなと思っています。結果的に、それが誰かの参考になるモデルになれば嬉しいですね。

この記事が少しでも面白い・役に立ったと思ったら、ぜひいいねやフォローをしてくれると励みになります。最後まで読んでくださり、ありがとうございます。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!

著者プロフィール

渡邉 寧YASUSHI WATANABE

慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡りマーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い。 経歴と研究実績はこちら

プロフィール詳細

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