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今日のテーマは、選挙報道を見て気持ちが沈むという話について。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。
こんにちは。今日は移動時間を使って、いま、ちょうどやってる衆議院選挙の選挙報道を見て感じる話をしようかと思います。選挙のニュースを見ていると、なんだか気持ちが沈むんですよね。「あれ、世の中ってこんな感じだったっけ?」という違和感がある。
同世代の人の話を聞いていても、似たような感覚を持っている人がいるなーと思うんですよね。40代後半以上の世代に共通する、このモヤモヤした気持ち。今日はこれを社会学の概念を使って整理してみたいと思います。
「文化的目標」と「制度的手段」のズレ
この「社会と自分の価値観がズレている」という感覚、実は社会学ではアノミーという概念で説明できるんじゃないかと思っています。
アメリカの社会学者ロバート・K・マートンは、社会における緊張状態を「文化的目標」と「制度的手段」のズレとして説明しました。ちょっとわかりにくいので、たとえ話をしますね。
たとえば、「物質的に豊かになる」というのが社会で共有された目標(文化的目標)だとします。そして、その目標を達成するための正当な方法(制度的手段)は「勉強して、いい大学に入って、いい会社に就職する」だとする。でも、もし「いい大学に入る」というルートが自分には閉ざされていると感じたら、どうなるか。目標と手段の間にズレが生じて、人は不安定な状態に置かれる。これがマートンの言うアノミーです。
じゃあ、40代後半以上の世代にとって、文化的目標と制度的手段は何だったのか。
文化的目標は、たぶん「欧米のような自由で豊かな民主主義社会を実現する」ということだったんじゃないかと思います。戦後の日本は、アメリカやヨーロッパの民主制度をモデルにして、「あの人たちみたいに自由で豊かな暮らしがしたい」という方向を目指してきた。平和であること、戦争をしないということも、大きな目標の一つでした。
そして、その目標を実現するための制度的手段は何だったか。それは、「教育を受けて経済を回す担い手になり、国を豊かにする。同時に、市民として責任をもって政治参加し、社会を良くしていく」ということだったんじゃないでしょうか。経済的に豊かになりつつ政治参加することが、民主主義社会の一員としての正しい振る舞いだった。もうちょっと上の世代だと、労働運動や社会運動に直接関わった人もいたし、そこまでいかなくても、そういう運動へのシンパシーみたいなものがあった。
ところが今、この両方がズレてしまっているように思うわけです。

目標も手段も変わってしまった
まず文化的目標の方。民主的であること(=権威主義でなく、個人の自由が不当に奪われないこと)ということは、もはや「目標」ではなくなっているように思います。どちらかと言えば、「前提」と考えられているのではないでしょうか。考えてみれば、今の若い世代は生まれた時から平和だし、両親や祖父母に戦争体験者がいないという人も増えている。わざわざ目指すものではなく、当たり前の前提になった。その結果、残った文化的目標は「経済成長」「より豊かで制約のない暮らし」だけになった。昔はまだ戦争の記憶があって「平和は意識的に守らないとならないもの」だったのが、今は経済だけが唯一の目標として残っている。
次に制度的手段の方。「市民としての政治参加」は、今の社会では「キモイ」「空気が読めない」行動とみなされるようになってしまいました。政治の話を真剣にする人は「意識高い系」と揶揄され、社会運動に参加する人は「ちょっと変わった人」扱いされる。かつて正当とされていた手段が、社会的に受け入れられなくなっている。
目標も手段も、現在の社会の主流とは合わなくなっている。こうなってくると、少し前の常識で生きてきた人にとってはアノミー状態になってしまう。
同調できない人はどうなるか
マートンによれば、アノミー状態に置かれた人には5つの適応様式があります。

おそらく大多数の人は同調を選ぶんだと思います。「まあ、そういう時代だよね」と受け入れて、日常を続ける。でも、価値観が明確な人ほど、同調は難しい。そうなると、残る選択肢は逃避か反抗になってしまう。社会から距離を取って隠遁するか、あるいは自分の価値観を守るために声を大きくして戦うか。
最近、自分も含めて、「世の中こんなんだっけ?」という何とも言えないやり切れない気分になることがあります。結果として「もう良いかな。しょうがないかな」という気分になってくる。おそらくこれはマートンがいうところの「逃避」行動の一歩手前なんではないかと思います。あまり健全な状態には思えない。
また、本当は優しいひとなんだけどSNSで先鋭化していく姿を見ることがあります。これも、アノミー状態への適応行動として理解できるのかもしれません。「反抗」モードに入った結果、守りたかったはずの「寛容さ」や「対話」という価値観と矛盾してしまっているように見えることもあって、それがまた切ないんですよね。
というわけで、今日は選挙報道を見て気持ちが沈むという話から、マートンのアノミー理論を使って40代以上の世代が感じている違和感を整理してみました。じゃあ、どうすればいいのかということを別の機会に考えてみたいと思います。
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最後まで読んでくださり、ありがとうございます。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!
著者プロフィール
渡邉 寧YASUSHI WATANABE
慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡りマーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い。 経歴と研究実績はこちら。
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