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2026.2.5 NEW

日本酒の美味しさは、文化を超えて伝わるか? ── 酒碗とワイングラスから考える – 歩きながら考える vol.223

渡邉 寧 | 京都大学博士(人間・環境学)

日本酒の美味しさと文化の関係について。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。

こんにちは。今日はオフィスに向かう途中で、ちょっとマニアックだけど面白い話をしようと思います。昨日、京都で「酒碗(しゅわん)」という日本酒のための酒器をテイスティングさせてもらう機会がありまして、そこでの体験が、文化心理学の研究とピタッとつながったんですよね。歩きながら、ゆるく話してみます。

酒碗とワイングラスで、日本酒の味が変わる

きっかけは、天酒堂というお店に行ったことです。ここは酒碗という新しい酒器を提案しているギャラリーで、陶芸の作家さんが作った酒碗で日本酒を飲むと味わいがどう変わるかを体験できます。知人へのお土産を買いに行ったんですが、せっかくなのでテイスティングもさせてもらいました。

酒碗はいくつかの作家さんのものを試させてもらって、さらに比較のためにワイングラス(シャンパングラスのような縦に長いタイプ)でも同じ日本酒を飲ませてもらったんです。

正直、最初はそんなに違いがわからなかった。僕はそんなに鼻がいいわけでも舌がいいわけでもないので。でも、しばらく置いておくと、だんだん違いが出てきて、一番の違いは香りでした。

意外だったのは、一番香りを強く感じたのがワイングラスだったということ。お店の方に聞いたら、ワイングラスは背丈があるので、グラスの中に香りが凝縮して溜まるんだそうです。鼻で香りを嗅いで「いい香りだな」と感じてから味わう。ワイングラスはそういう体験をデザインしている器なんですね。

一方、酒碗は、言ってみれば湯飲みとお茶碗の間くらいの大きさで、そんなに背丈がない。だから香りはあまり溜まらない。その代わり、焼き物の表面が空気と触れる範囲を複雑にして、味わいに変化をつける。香りよりも、味の繊細さや複雑さを引き出す方向にデザインされているわけです。

この話を聞いて、ピンと来たことがありました。これ、文化の違いの話じゃないか、と。

「良いもの」は世界に通じる、という楽観論

日本酒の海外市場はここ数年で大きく伸びていますね。そして海外で特に人気と聞くのが、獺祭に代表されるような、香りが華やかな大吟醸タイプ。これは品質が高いから売れているわけで、「良いものを作れば文化を超えて伝わる」という話に見えます。

実際、日本酒の品質の高さは世界的に評価されていますし、海外の高級レストランで日本酒がワインリストに載ることも珍しくなくなりました。品質で勝負すれば、文化の壁は越えられる。そう考えるのは自然です。

でも、天酒堂でのテイスティングを経験して、ちょっと違う考えが浮かんできたんですよね。

伝わっているのは「日本酒の美味しさ」なのか?

ここで思い出したのが、スタンフォード大学のジーン・ツァイ(Jeanne Tsai)の研究です。ツァイは、人がどんな感情を「理想的」と感じるかは、文化によって異なると言っています。

心理学では、感情を快-不快(valence)と覚醒度の高-低(arousal)の2軸で分類する「感情円環モデル」というフレームワークがあります。ツァイの研究で面白いのは、この2軸上でどの位置の感情を好むかに文化差があるということです。

ツァイの研究によると、ヨーロッパ系アメリカ人高覚醒ポジティブな感情、つまり興奮や熱狂といった強くてポジティブな状態を理想とする傾向がある。映画やドラマを見てても感じますよね。すごくハッピーで、刺激が強くて、エネルギッシュなものが好まれる。一方、東アジア人(中国系、日本を含む)は低覚醒ポジティブな感情、つまり穏やかさ、平穏、静けさといった状態を理想とする傾向がある。

この話と、さっきの酒器の話がつながるわけです。

ワイングラスは香りを凝縮させて、まず強い香りのインパクトを楽しんでから味に入る。これは高覚醒的な体験デザインなんじゃないかと思うわけです。一方、酒碗は香りを抑えて、味の繊細な複雑さに意識を向けさせる。これは低覚醒的な体験デザインに見える。器の形が、その文化が「心地よい」と感じる感情の好みを、そのまま体現しているように見えるんです。

そう考えると、獺祭のような華やかな大吟醸が海外で売れているのは、品質が高いというのはもちろんあるとして、ワインの文法に則っているからでもあるんじゃないかと思うわけです。香りが華やかで、最初にガツンと来る。欧米の消費者が「心地よい」と感じる高覚醒ポジティブな体験パターンにフィットしている。つまり、伝わっているのは「日本酒の美味しさ」というよりは、欧米の感覚的なフレームワークに翻訳できた部分なのかもしれないと思うわけです。

美味しさのフレームワークは一つじゃない

じゃあ、いわゆる「日本酒らしい日本酒」、つまり香りは控えめだけど深い味わいがあって、繊細な複雑さがあるタイプはどうか。こういうお酒の魅力は、低覚醒的な感覚のフレームワークを持っている人には伝わりやすい。そう考えると、日本酒の海外展開って、アジア圏が有望なんじゃないかと思うんですよ。

特に東アジアの消費者は、穏やかで繊細な味わいを「美味しい」と感じる文化的な下地を持っている。味わい系の日本酒にとっては、むしろこちらの方が自然な市場になり得る可能性が有るのではないかと。

結局のところ、美味しさは文化を超えるかもしれないけど、「何を美味しいと感じるか」のフレームワークは文化の影響を受ける。品質が高ければ世界に通じるという話は、半分は正しい。でも残りの半分は、相手の文化が持つ感覚的な好みとの適合性を考える必要があるのではないかと思うわけです。

日本酒の海外展開を考える上で、ワインなどの現地のお酒の文法に乗るというのは一つの有効な方法だと思います。市場の文化的な感情の好みに合わせて、伝え方を変えていく。これは立派な戦略だと思います。同時に、根本的に、どの地域に日本酒を受け入れるポテンシャルがあるかを考える。酒碗という器が教えてくれたのは、そういうことだったのかもしれません。

というわけで、今日は酒碗のテイスティングから始まって、日本酒の美味しさと文化の関係まで、歩きながら考えてみました。器の形に文化が宿っているって、なかなか面白くないですか?

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。この記事が少しでも面白い・役に立ったと思ったら、ぜひいいねやフォローをしてくれると励みになります。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!

著者プロフィール

渡邉 寧YASUSHI WATANABE

慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡りマーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い。 経歴と研究実績はこちら

プロフィール詳細

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