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6次元モデル(異文化を理解するフレームワーク)ブログ歩きながら考える
2026.1.20
中国の出生数900万人割れ:東アジアはなぜ子供を育てるのが難しいのか – 歩きながら考える vol.211
渡邉 寧 | 京都大学博士(人間・環境学)
今日のテーマは、このままでは東アジアから子供が居なくなりそうな件について。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。
こんにちは。今日は移動時間を使って、最近気になったニュースから「東アジアの教育と少子化」について考えてみようと思います。ちょっと大きなテーマですが、歩きながらゆるく話してみます。
きっかけは、2026年1月11日の日経新聞の記事。中国の2025年の出生数が900万人を割り込むという予測が出ているそうです。2016年のピーク時と比べると半減。しかも専門家の中には730万人程度まで落ち込むと見る人もいるとか。
中国だけじゃなくて、韓国は合計特殊出生率が世界最低レベル、日本も少子化が止まらない。日中韓そろって、次の世代を育てることに失敗しつつある。このままだと、東アジア全体が縮んでいってしまうんじゃないかと。
それなのに、日中両国は軍拡競争にリソースを割いている。域内で喧嘩している場合じゃないだろうと、正直思うわけです。目の前の生活の厳しさと、将来の少子化を考えたら、そんなことしてる場合なのか?と。

なぜ親は教育投資を止められないのか?
少子化の原因はいろいろ言われますが、東アジアに共通する構造的な問題として、教育にかかるコストの異常な高さがあると思うんです。
日経の記事によると、中国では子どもが高校を卒業するまでにかかる費用は全国平均で約1100万円、北京や上海では2000万円以上だそうです。成人するまでの費用は1人当たりGDPの6.3倍で、これは韓国(7.8倍)に次いで世界で2番目に高いそうです。
なぜこんなことになるのか。僕は、これは科挙制度の亡霊が東アジアを縛っているんじゃないかと思っています。日本も韓国も中国も、学歴・学校歴が社会の上層に行くためのチケットになっている。しかも、評価される「椅子」の数は決まっている。ピラミッドの上に行けば行くほど椅子は減っていく。だから親は、子どもをその椅子に座らせるために、莫大なお金と時間と労力を投下せざるを得ない。
しかも問題はお金だけじゃない。親は子どもの「教育マネージャー」として、塾選び、送り迎え、スケジュール管理、受験情報の収集を熱心に行う。共働きが当たり前の時代に、仕事から帰ってきて子どもを塾に送り、迎えに行き、宿題を見て……これは本当にキツいんじゃないでしょうか。
この過酷な競争環境を見たら、「子どもを持たない」という選択は、個人にとっては極めて合理的になりますよね。少子化は若者の意識の問題じゃなくて、社会構造の問題です。

公教育を充実させれば競争は止まるか?
じゃあどうすればいいのか。
まず考えられるのは、子育ての社会化ですね。学童保育の延長、送迎サービス、教育費の無償化。フィンランドのように、公教育の質を上げて私立学校や塾を不要にするアプローチです。
フィンランドでは、私立学校も公的資金で運営されていて、法律で利潤を得ることが禁止されているそうです。だから日本やアメリカのような「お金で教育の質を買う」構造がそもそも存在しない。
この方向性には一定の効果があると思います。もし、公教育が非常に質が高くて、量も十分に担保されるのであれば、それ以上の教育投資を家庭が行っても付加価値は小さい。そうなれば、投資競争のインセンティブは減るはずです。
でも、そこまで公共で本当に提供できるのか?という現実的な問題がある。学校の先生の残業代の予算確保が大変な日本の財政状況を考えると、質・量ともに充実した公教育を実現するのはかなりハードルが高いんだろうと思います。また、民間サービスを排して、競争の要素を排除したときに、本当に教育効果は最適化されるのかという疑問も捨てきれません。可能性としてはありえても、実際の効果には疑問符が付きます。

採用基準を変えれば競争は止まるか?
そこで、別の角度からも考えてみます。高学歴(学校歴)というチケットの価値を下げるというアプローチです。
みんながそのチケットを必死に取りに行くのは、それが「良い就職」につながるから。だったら、就職という出口の部分を変えることで、インセンティブ構造を変えられるんじゃないか。端的に言えば、採用基準を変えることが、この問題のレバレッジポイントになるという発想です。
今の日本企業の多くは、「学校名=地頭の良さの総合指標」というフィルターで採用しています。でも、もし企業が今の「ジョブ型雇用」の延長線で、「どの大学を出たか」ではなく「何を学び、何ができるか」を採用基準の中心に据えるようになったら?
たとえばマイクロ・クレデンシャルという考え方があります。大学名というパッケージではなく、「このオンラインコースを修了した」「このプロジェクトでこんな成果を出した」といった、個別のスキルや学習履歴の積み上げで評価する仕組みです。本当にジョブ型雇用にするのであれば、応募したポジションの仕事をこなす実力を証明するためには「このコースでこういう知識を身に着けて、このインターンプロジェクトでこういう成果を出した」という証明をする必要があります。結果として所属している学校名の価値は相対的に下がっていく。これが広がれば、「とりあえず偏差値の高い大学に入る」という競争は意味を失います。
ただ、これも本当にできるのか?という疑問はあります。
企業の人事担当者からすれば、学歴フィルターは「低コストで一定の質を担保できる」合理的な手段なんです。何百人ものエントリーシートを見る中で、マイクロ・クレデンシャルを一つひとつ評価する余裕なんてない。「変えた方がいい人材が取れる」という実証がなければ、誰も先に動かない。
それに、日本企業の多くはなんだかんだで依然としてメンバーシップ型雇用、つまり「何ができるか」より「どの会社に属しているか」で人を評価する文化が根強い。採用基準だけ変えても、社会全体の価値観が変わらなければ難しいかもしれません。

「どちらか」ではなく「両方から」攻める
公教育の充実も、採用基準の変革も、どちらも単独では難しい。じゃあ諦めるのかというと、そうじゃないと思うんです。
僕が思うのは、「どちらか一方で完全解決」を目指すのではなく、「両方から少しずつ」攻めていくということ。
公教育の側では、すべてをフィンランド並みにするのは無理でも、部分的に公共サービスを拡充していくことはできる。学童保育の拡充と時間延長、教育費の社会負担強化。教員の給与改善と優秀な人材の採用による教育水準の向上。完璧じゃなくても、親の負担が少し軽くなるだけで、競争の強度は下がります。
採用の側でも、全企業が一斉に変わる必要はない。一部の企業がマイクロ・クレデンシャルやポートフォリオ採用を始めるだけで、「学歴ルート以外でも生きていける」という選択肢が見えてくる。実際、テック企業の一部は学歴不問採用を始めているし、AIによる採用スクリーニングが「学歴以外の指標」を評価することを技術的に可能にしつつあります。
そして、これは日本だけの問題じゃない。日中韓が同じ構造問題を抱えているなら、教育政策でも東アジアで知見を共有していく。それが本当の意味での地域協力なんじゃないかと思います。
まとめ
というわけで、今日は中国の出生数900万人割れのニュースから、東アジアの教育競争と少子化について歩きながら考えてみました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。この記事が少しでも面白い・役に立ったと思ったら、ぜひいいねやフォローをしてくれると励みになります。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!
著者プロフィール
渡邉 寧YASUSHI WATANABE
慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡りマーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い。 経歴と研究実績はこちら。
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