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コラム異文化に対応する

2022.6.2

日本人はなぜマスクを外さないのか

渡邉 寧 | 株式会社かえる 代表取締役

マスク着用ルールについて、
政府が緩和ルールを提示

2022年5月20日に日本政府は、マスク着用に関する新しい基準を発表しました。

新しい基準によれば、屋外では、身体的距離が確保出来ず会話が発生する場合を除き、基本的にはマスク着用は必要ないと明示されました。また、屋内においても、2メートル以上の距離が確保でき、会話量が少ない場合は、マスク着用は必要ないとされました。

新しい基準下においては、屋外を一人で歩いているような状況ではマスクは着用する必要がなく、電車やバスで移動する場合でも、通勤時などの混雑時でなければマスク着用は必要ないということになります。

しかし、屋外でのマスク着用はすぐには無くならない気配

一方で、この記事を書いている2022年5月27日は、新しい基準が発表されてから1週間経っているわけですが、外を歩くと今だにかなりの数の人がマスクを着用して歩いています。新しいルールの周知が未だに徹底していないのかもしれませんが、それにしてもマスクをしている人が多い。

もちろん、次第に気温が上がりつつある状況とは言え、まだ5月で厳しい夏日が続いているわけではないため、マスクをすることが過度に不快な状況ではありません。しかし、感染への影響がほとんどないと政府も判断し公表しているのであれば、マスクを着用することに積極的な意味はなく、外して歩いている人が多数派でもおかしくないのではとも感じます。

コロナ禍が始まった2020年の8月に、「欧米人はなぜマスクを嫌うのか」という記事を文化的な観点に着目して書きました。

世界的にコロナ禍が収まりつつある2022年の5月に、今回は「なぜ日本人はマスクを外さないのか」ということを文化的な観点に着目して書きたいと思います。

なぜマスクを着用し続けるのか? 文化的観点からの解釈

なぜ日本人はマスクを外さないのか?

個人的には、この現象には典型的な日本文化の影響を感じます。

ホフステード指標で見ると、日本は集団主義・個人主義のスコアが46で、これは日本がやや集団主義寄りの文化であることを示しています。集団主義の文化では、個人として何をしたいかという話の前に、集団として何をするべきか、ということが考えられます。

日本の集団主義・個人主義のスコア
ホフステード指標における日本の集団主義・個人主義のスコアは46。やや集団主義寄りの文化

集団として「マスクは着用すべき」と考えられているのであれば、個人は「自分はマスクを外したい」と思っていたとしても、集団の意見に従いマスクを着用し続けるという判断をする傾向が強くなるでしょう。

昨年など、夏の暑い時期でどんなに不快であっても、日本ではほとんどの人は外出時にマスクを着用し続けていました。これは個人が集団の意見に従う集団主義の文化でよく見られる状況です。

しかし、今回は政府が国レベルの集団として「(場合分けをしつつも)マスクを着用する必要はない」と明確にメッセージを出しています。それにも関わらず、多くの人はマスクを着用し続けている。これは一体どういうことなのでしょうか?

権力者よりも影響力を持つ「他人の目」

今回、我々が目撃しているのは、マスク着用に関して政府が見解を出し、その政府見解にほとんどの人が従っていないという状況です。

このことは、日本においては、人の行動に大きな影響力を持つのは必ずしも社会階層の上層部の決定ではないかもしれないということを意味します。

これは、ホフステード指数で見ても説明がつきます。日本の権力格差のスコアは54です。これは、日本が必ずしも権力格差の高い文化というわけではないことを示しています。

日本の権力格差のスコア
ホフステード指標における日本の権力格差のスコアは54。必ずしも権力格差の高い文化ではない。

権力格差が高い文化であれば、政府の見解が明確に出されたのであれば、多くの人がその見解に従う可能性が高くなります。日本の場合は権力格差スコアはほぼ真ん中で、明確に高いわけではないので、政府の見解が出たとしても、それに従わない人々が多く出ても不思議ではありません。

人々が権力に従うわけでなく、また個人主義でもない為、個人の方針に基づいて意思決定しているわけでもない。それでは一体、日本において人々は何に基づいて意思決定をしているのでしょうか?

ここで、人の行動に影響力を持つものとして出てくるのが「他人の目」です。

集団主義・個人主義と近い概念に、スタンフォード大学のヘイゼル・ローズ・マーカス教授と、ミシガン大学の北山忍教授が提示した、相互協調的・相互独立的自己観という概念があります。

※ Markus and Kitayama (1991) “Culture and the self: Implications for cognition, emotion, and motivation”より引用。Aの相互独立的自己観では、自己と他者は異なる存在として認識されているのに対し、Bの相互協調的自己観では、自己と他者の境界が重なり、境界線上にあるXが自己観を規定している。

相互独立的自己観は北米などで一般的に見られる自己観で、個人は他者とは独立した主体的な存在であると考えられます。それに対し、相互協調的自己観は東アジアなどで一般的に見られる自己観で、個人は独立した存在というより、他者との境界線が曖昧で、他者との接点が動機づけや認知のトリガーになると考えられます。

日本では相互協調的自己観が主流であり、その為、「マスクをするのか、しないのか」という判断に関しても、他者の存在が影響してくると考えられます。

「他人の目」つまり、「マスクを外したら、他人は自分をどう見るか?」は本人の憶測でしかないはずですが、その想像上の「他人の目」が気になってしまい、政府見解があるにも関わらずマスクを外すという行為にリスクを感じてしまう。

マスクを外さない日本人を見ると、「他人の視線」という憶測を自分で作り出し、自分でそれに縛られる日本文化における人の一つの行動パターンが、昔と変わらず存在することに気づきます。

なんでもかんでも「現状維持」になってしまうメカニズム

私は、「他人の目を気にする」ということ自体が問題だとは思っていません。他人の目を気にする態度は、人に対する気遣いや配慮など、集団の中で一人一人が気持ちよく生活することにも繋がり得ると思います。

しかし、マスクをすること/しないことについて、他者が本当の所どう思っているのかについて誰もがよくわからない状態で、そうした憶測にすぎない「他人の目」で縛られて身動きが取れなくなる状況は、社会的には好ましいものとは言えないと思います。

他者がどう思っているのかわからないのであれば、とりあえず現状維持をする(=マスクを外さない)という判断が行われると、多数派の人がマスクをし続けているという現実が続いてしまいます。

多数派がマスクをし続ければ、そのこと自体が「マスクをするのが正しい(と多数の人が思っている)」というサインを発生させてしまいます。そして、そのサインを見た人が「やはりマスクは外さないでおこう」という判断をするため、マスクを外すという変革がますます進まなくなる。

今回の、マスクを外す流れが極めて緩やかにしか起こらない日本の状況は、なんでもかんでも「現状維持」になってしまう日本文化のメカニズムそのものであり、このメカニズムはマスクにかぎらず、組織の中でも社会の中でも、日本の至るところで見ることが出来るものだと感じます。

キャズムを超える割合の人たちが行動を変えると一気に変わる

日本文化が持つ「現状維持を発生させるメカニズム」の影響力は非常に強く、今回のマスクの件も大半の人がマスク無しで外を歩くようになるのを見るにはもう少し時間がかかるかもしれません。

と同時に、もう少し時間が経つと、全く逆の状況(誰もマスクしない)が突然現れる可能性も考えられます。というのも、この現状維持を発生させるメカニズムは、実は物事を劇的に変えるメカニズムでもあるからです。

「潮目が変わった」というような表現をすることがあります。マスクを外すことを例に取ると、世の中で一定数以上の人たちがマスクを外して外を歩くようになると、今度は「マスクを外して歩くことが正しい」というサインが発生します。良くも悪くも、「他人の目」を気にする文化的背景では、人々はそうしたサインを敏感につかみ取り、自分の行動を劇的に変えることに繋がります。

日本文化との付き合い方

人々の心は文化の中に埋め込まれており、集団レベルの文化を変革することは容易ではありません。

何か社会的な変革や、組織等の集団の変革を望むのであれば、この文化のメカニズムを理解した上で、何をどうすれば人々は現状維持ではなく、変革に向けて動くのかということを考える必要があります。

日本では、人々が「他人の目」を意識すること自体は変えられないでしょう。この文化的傾向はかなり根強く、短期で変革できる範疇を超えています。そうであるならば、「他人の目」を人々が気にする前提で、それでも変革が進むような設計を考える必要があります。

私は、「他人の目」と言った時の「他人/他者」って一体誰なんだ?ということを問い直すことが一つの鍵なのではないかと思っています。

誰だかよくわからない「他人」の視線を想像すると、「どう思われるかわからないから、何も変えないでおこう」という現状維持の考えに繋がります。一方で、よくわかっている「他人」の視線を想像することは、「あの人(達)はきっとこう思うだろうから、今回は変えたほうが良い/変えないほうが良い」という、現実的な考えに繋がります。

コミュニケーションがよく取れている小集団に、全ての人がネストされている(根付いている)社会・組織設計になっていれば、個人個人の判断は「なんでもかんでも現状維持」とはならず、より現実的で妥当なものとなっていくと考えます。

今回のマスクを外さない街中の人たちを見ると、そうした社会設計の不全さを見ているような気がしてしまい、同時に、こうした小集団形成が日本にとって役立つこととなるだろうといことを強く思います。

著者プロフィール

渡邉 寧YASUSHI WATANABE

慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡りマーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立し、現在は「人と組織が変わること」に焦点を絞ったコンサルティングに取り組んでいる。プライベートではアシュタンガヨガに取り組み、ヨガインストラクターでもある。 株式会社かえる 代表取締役

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