YASUSHI WATANABE.COM

日本語 ENGLISH

Blog

6次元モデル(異文化を理解するフレームワーク)ブログ歩きながら考える

2025.10.23

AIで生産性が爆上がり?実は競争が激化しただけかもしれない話 – 歩きながら考える vol.153

渡邉 寧 | 京都大学博士(人間・環境学)

今日のテーマは、AIの社会実装が進むにつれて、競争がより激化しているかもしれない話に関して。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。

こんにちは。今日はランチの後、オフィスに戻りながら、最近ずっと気になっていることを話してみようと思います。AIのおかげでアウトプットを出すのがものすごく簡単になって、一見すると生産性が爆上がりしたように見えるんですけど、実際には別の競争が始まっていて、むしろ前より大変になってる気がするんですよね。この不思議な現象について、歩きながら考えてみます。

研究の世界に起きた地殻変動

まず、僕が肌で感じているのが研究の世界での変化です。その中でも最もインパクトが大きいのは、英語の壁が消えたことだと思います。

研究論文は基本的に英語で書かれます。英語圏の研究者にとっては当たり前のことですが、よく考えてみてください。世界の人口を見れば、圧倒的に非英語圏の方が多いんです。つまり、潜在的な研究者の数も圧倒的に非英語圏の方が多いはずなのに、これまでは言語の壁があったために、その力が十分に発揮されてこなかった。

それが今、AIによって一気に変わりました。高性能な翻訳ツールのおかげで、英語で論文を書くハードルがほぼなくなったんです。これだけでも革命的なのに、話はこれで終わりません。

論文を書くプロセス自体も様変わりしています。先行研究のレビューは、リサーチクエスチョンを入力すれば関連論文を一瞬で探し出してくれるAIツールが登場しました。論文を読むときも、PDFと対話しながら必要な情報をピンポイントで抽出できる。統計分析に必要なRやPythonのコードも、AIが書いてくれるようになりました。

つまり何が起きたかというと、非英語圏という巨大な研究者予備軍の参入障壁が消えただけでなく、すべての研究者が一人で生み出せる論文の数が飛躍的に増えたんです。結果として、投稿される研究論文の量が爆発的に増加している。これが今の状況です。

見落とされがちなボトルネック

ここまで聞くと、「素晴らしい!研究が加速するじゃないか!」と思うかもしれません。でも、話はそう単純じゃないんです。

論文が大量に生産されるようになっても、それを審査する側のキャパシティはあまり変わってないように思うんですよね。最終的な判断を下すのは人間の研究者です。査読者の数が急に増えるわけじゃない。AIの補助はあっても、ちゃんとした評価をするためには、自分の目で論文をちゃんと読んで評価をする必要がある。みんな自分の研究もあるので、引き受けられる査読の数には限界があります。

つまり、生産される論文の量は爆発的に増えたのに、審査できる論文の増加量はそこまでではない。このギャップがどんどん広がっているんじゃないかと思います。

その結果、何が起こっているか。論文として採択されるハードルが、どんどん上がっているように思います。リサーチクエスチョンの独創性、データの質、分析の緻密さ、先行研究レビューの網羅性—すべてにおいて高い水準が求められるようになってきているように思います。

AIのおかげで全体の底上げが起きた分、競争が激化して、さらに高いクオリティが要求される。そういうサイクルが回り始めているように感じます。

ビジネスの世界でも同じことが

この現象は、研究だけの話じゃないと思います。ビジネスの世界でも同じことが起きているのではないでしょうか。

企画書を作る、プロトタイプを作る、プレゼン資料を作る—こうした作業は、AIによって驚くほど簡単になりました。Soraを使えば素人でもプロ並みの動画が作れるし、Sunoを使えば商業レベルの音楽が作れる。ChatGPTは説得力のある文章を書いてくれるし、スライドだって自動生成してくれます。

つまり、それなりに見栄えのする企画書や、商品化できそうなクオリティのコンテンツを作るスピードと量が、爆発的に増えているわけです。

でも、ここにもボトルネックがあります。消費者の数が爆発的に増えたわけではないし、一人ひとりの可処分時間がそこまで増えたわけではありません。供給側だけが爆発的に増えて、需要側は変わらない。当然、競争は激しくなります。

「AIのおかげで生産性が上がった!」と思ったら、実は競争のレベルが上がっただけで、成果を出すのは以前より難しくなっているかもしれない。それが今の現実なんじゃないかと思います。

デジタルが進むほど、アナログが際立つ

ここからが面白いところなんですけど、AIによってデジタルな作業のハードルが下がった結果、逆にAIでは代替できない部分の価値が際立つようになってきたと感じています。

研究の例で言えば、文献レビューも分析コードもAIが支援してくれます。でも、その間にある「どんなデータを取るか」「どこでデータを取るか」というデザインと、実際に取得したデータの質—ここはAIにはどうしようもない部分です。そして、この部分の良し悪しが、研究全体の価値に大きな影響を及ぼすようになっているように思います。

ビジネスでも同じじゃないでしょうか。例えば、動画も音楽もテキストも、コンテンツ自体はAIで作れる時代になりました。だからこそ、それがどんな空間で体験されるかが重要になってくる。ディスプレイの品質、音響設備の設定、照明、空間の雰囲気—身体を通じて感じる要素の質が、選ばれるかどうかを左右する時代になってきたんじゃないでしょうか。

デジタル化が進めば進むほど、物理的な質や体験が際立つ。なんだか逆説的ですが、これが今起きている変化の本質なのかもしれません。

まとめ:新しい競争の中で何が勝負を分けるのか

というわけで、今日は「AIによる生産性向上の今後」について、歩きながら考えてみました。

AIは確かに、非英語圏の研究者の壁を取り払い、一人ひとりの生産能力を飛躍的に高めました。動画、音楽、文章—あらゆるコンテンツの制作が民主化されました。でも、それを受け止める側のキャパシティにはやっぱり限界がある。だから競争が激化し、求められる水準が上がっている。

そして最終的に差がつくのは、AIが関与できない領域—データの質であり、空間の質であり、身体を通じた体験の質なのではないかと思いいます。デジタルツールが誰でも使えるようになったからこそ、物理的な世界での丁寧な仕事が、これまで以上に価値を持つ時代になったのかもしれません。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。オフィスに着いたので、今日はこの辺で。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!

著者プロフィール

渡邉 寧YASUSHI WATANABE

慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡りマーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い。 経歴と研究実績はこちら

プロフィール詳細

関連ブログ Related Blog

公明党の連立離脱から考える「配慮への配慮」 – 歩きながら考える vol.147

6次元モデル(異文化を理解するフレームワーク)ブログ歩きながら考える

2025.10.15

公明党の連立離脱から考える「配慮への配慮」 – 歩きながら考える vol.147

今日のテーマは、公明党の連立離脱から考える、日本社会の人間関係の要諦について。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知... more

外国人の香水と日本人の怒り:なぜ匂いだけは我慢できないのか – 歩きながら考える vol.112

6次元モデル(異文化を理解するフレームワーク)ブログ個人主義(IDV)歩きながら考える

2025.8.25

外国人の香水と日本人の怒り:なぜ匂いだけは我慢できないのか – 歩きながら考える vol.112

今日のテーマは、外国人の強すぎる香水がどうして嫌なのかという話。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくす... more

市民マラソン復活が示す希望:共通項を失った社会で、走ることの意味 – 歩きながら考える vol.151

6次元モデル(異文化を理解するフレームワーク)ブログ個人主義(IDV)女性性・男性性(MAS)歩きながら考える

2025.10.21

市民マラソン復活が示す希望:共通項を失った社会で、走ることの意味 – 歩きながら考える vol.151

今日のテーマは、マラソン人気が回復してコロナ前の水準に並んだという件について思うこと。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデ... more