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6次元モデル(異文化を理解するフレームワーク)ブログ歩きながら考える
2025.10.15
公明党の連立離脱から考える「配慮への配慮」 – 歩きながら考える vol.147
渡邉 寧 | 京都大学博士(人間・環境学)
今日のテーマは、公明党の連立離脱から考える、日本社会の人間関係の要諦について。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。
こんにちは。今日は家に帰りながら、ちょっと衝撃的だったニュースについて考えたことを話そうと思います。2025年10月10日、公明党が自民党との連立政権から離脱すると表明しました。1999年10月から続いてきた協力関係に、野党時代を挟んで26年間、終止符が打たれたわけです。
このニュース、あまり想定されていた展開には見えませんでした。でも報道を見ていると、我慢していたものが爆発したというか、不満が限界に達したというか、そういう印象を受けるんですよね。「ある日突然三行半を突きつけられる」という、なんとも日本的なパターンに見えてしまって。
今回の件に関係するんじゃないかと思ったことを心理学の理論を踏まえてゆるく話します。
二つのコントロール戦略:環境を変えるか、自分を変えるか
ロスバウム(Rothbaum)という研究者が、1982年に提唱した概念があります。人間が「統制感(コントロール感)」を持つ方法には、大きく分けて二つあるという話です。
従来の心理学では、「コントロール」というと、外部に働きかけて環境を変えることだけを指していました。でも、受動的だったり、引きこもったり、従属的だったりする行動(inward behavior)は、これまでコントロールとは無縁のものだと考えられていたんですね。ロスバウムは、こうした行動も実は統制感を維持するための一つの方法だと主張しました。
プライマリーコントロールは、環境を自分に合わせて変えようとする働きかけ。不満があれば声を上げ、問題があれば解決を求め、自分の希望を実現しようとする。欧米では、これが主要な戦略だと言われています。
一方、セカンダリーコントロールは、自分を環境に合わせて変える働きかけ。状況を受け入れ、そこに意味を見出し、与えられた枠の中で統制感を維持する。日本を含む東アジアでは、こちらが主要な戦略として好まれる傾向があると言われています。
で、この話を元に公明党と自民党の26年間を振り返ると、公明党はセカンダリーコントロールも実践してきたように見えるんですよね。

公明党のセカンダリーコントロール
具体的に考えてみましょう。連立初期の小泉政権。あの新自由主義的な改革路線は、弱者ケアを重視する公明党の価値観とは真逆だったんじゃないでしょうか。小泉首相の靖国参拝も、公明党の立場とは異なっていたはずです。
第2次安倍政権での集団的自衛権の行使容認。公明党は慎重だったものの、最終的には「限定容認」という形で合意しました。
もちろん、連立にいることの実りはあったはずです。政策を実現する力、選挙での協力関係。公明党も自民党の方針を変えようとするプライマリーコントロールの努力はしていたでしょう。
でも、それが全て通るわけではない。支持者の理念や考えとギャップがある状況もあったはずです。そういう時、公明党はどうしていたか。おそらく、そのねじれた状態にも何らかの意味を見出す――これは解釈的統制(interpretive control)と呼ばれるセカンダリーコントロールの一形態です――ことで、統制感を維持していたのではないでしょうか。
そして、2024年の衆議院選挙、2025年7月の参議院選挙。自民党の裏金問題による逆風を、連立与党として公明党も受けました。主に自民党の問題なのに、です。
「配慮への配慮」と慈悲の欠如
ここで、今回の話で一番大事だと思うポイントに来ます。それは「配慮への配慮」という考え方です。
セカンダリーコントロールで「合わせる」ということは、自分の希望や期待を100%実現するために外部を変えるわけではなく、一定程度相手を立てる、優先させるということです。それであるが故に、一定の苦しみを伴う行為である可能性がありますよね。
26年間連立にいたということは、そういう小さな苦から大きな苦まで、色々あったんだろうということが推察されます。
ここで興味深いのが、仏教的な視点から見たときの解釈です。仏教では、人間は苦を持つ存在であり、であるがゆえに他者の苦に気づき、それを取り除こうとする行為を「慈悲」と考えます。公明党の支持母体である創価学会の背景にも、こうした仏教思想があるのだろうと思います。
つまり、セカンダリーコントロールをする、つまり相手に配慮をする中で、実社会であれば、みんなは少しずつその苦を引き受けているわけです。もし慈悲の心があるのであれば、そういった他者の苦しみに気づいて、それを軽減しようとするはずです。これは「配慮への配慮」と呼ぶことが出来ます。
でも、今回の経緯を見ると、自民党にはそういう要素が見られなかった。裏金問題への対応は不十分で、高市新総裁は裏金関係者を幹事長代行に起用。公明党が引き受けてきた苦しみへの理解も、軽減の努力も、感じられなかった。
これは、仏教的に言えば「慈悲の欠如」なんじゃないでしょうか。

日本社会で生きるための知恵
この話、政治だけの話じゃないと思うんですよね。
日本社会って、セカンダリーコントロールが主要な戦略として機能している文化です。職場でも、家庭でも、友人関係でも、誰かが「配慮してくれる/合わせてくれている」ことって、たくさんあるはずです。
でも、それを当たり前だと思ってしまうと、ある日突然「三行半」を突きつけられることがある。相手のストレスが限界を超えた時に。
だから、日々の生活の中で、「この人は自分に配慮して合わせてくれているかもしれない」って考えることが大事なんだと思います。そして、その負担を少しでも軽くしようとすること。それが「配慮への配慮」であり、仏教的に言えば「慈悲」の実践なんじゃないでしょうか。
プライマリーコントロールが主要な文化では、また違うことが大事になってくるんでしょう。でも、セカンダリーコントロールが主要な戦略である日本では、「配慮への配慮」を忘れないことが、関係を維持する知恵なのかもしれません。
公明党の連立離脱は、私たち一人ひとりの人間関係を見直すきっかけにもなる。そんな風に思った次第です。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。家に着いたので、今日はこの辺で。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!
著者プロフィール
渡邉 寧YASUSHI WATANABE
慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡りマーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い。 経歴と研究実績はこちら。
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