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6次元モデル(異文化を理解するフレームワーク)ブログ個人主義(IDV)歩きながら考える
2025.10.22
迷惑をかけることの効用:京都の町家で考えた「配慮に対する配慮」- 歩きながら考える vol.152
渡邉 寧 | 京都大学博士(人間・環境学)
今日のテーマは、京都の町家での迷惑のかけあいから考えたソーシャル・キャピタルの話。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。
こんにちは。今日は家に帰りながら、最近飲み屋で聞いた面白い話から考えたことをシェアしようと思います。テーマは「迷惑をかけること」について。日本では「人に迷惑をかけない」ことが美徳とされますが、実はお互いに迷惑をかけ合った方が関係性が深まるんじゃないか、という逆説的な話です。歩きながら、ゆるく考えてみますね。
音がうるさいから怒ってるんじゃない
この間聞いて、すごく面白いなと思った話があるんです。
京都には長屋っぽい建物、町家がありますよね。いくつかの家が連なってるので、壁を隔てて生活音が当然聞こえてくる。その町家を改築して料理店にしてる、すごくお洒落なお店が並んでいるところがあって、そこの3軒の料理店が並んでいる真ん中の位置に、新しく外から人が来て店を開くことになったらしいんです。
で、内装工事をしてるんだけれども、結構釘を打ったり壁を塗ったりっていうので、その音が隣のお店に聞こえてくる。それで、ちょっと怒ってるっていう話を聞いたんですけど、すごく面白いなと思ったのは、別にうるさくしてるから怒ってるんじゃないっていう話なんですよね。
そんなの、町家なんだから音が漏れちゃうのはお互い様なのであって、何に怒ってるかっていうと、事前に挨拶がなかったっていうこと。事前に一言なかったっていうことに対して怒ってるわけです。
すごく単純な話で、「今度、ここで店させてもらうんです。すいません、ちょっと内装工事があるんで、しばらく1ヶ月、2週間ぐらい、もしかしたら音が出ちゃうかもしれないんですけど、ほんとすいません」ってちゃんと配慮を示せば、別にそんな、町家なんだから音が漏れてきちゃうのは当たり前の話で、怒る話でもなんでもないと。
だけど、何も言わずにいきなりやってきて作業を始めて、「独立してる各店舗なんだから別に関係ないでしょ。知り合いでもないし」みたいな感じにされると、やっぱり配慮されてないっていう感覚があって、それに対してすごく怒ってるっていう話でした。
これって、僕がこの間からずっと気になってる話なんですけど、日本の社会って、ちょっとずつみんなが我慢し合って、配慮し合って生きている中で、だから、みんながちょっとずつ不便を感じてるわけですよね。その不便を感じるってことに対する配慮をしてもらってるってことに対する、その配慮。配慮に対する配慮っていうのがないと、なかなかその社会の中ではうまく立ち回れなくなるっていう話なんです。

使うほど増える資本:迷惑をかけ合うことの効用
飲食店の場合もそうだし、近所で住んでれば、お互いに迷惑をかけるってこともある。でも、迷惑をかけること自体が別に問題ってわけじゃないんじゃないかって思うわけです。迷惑をかけるってことに対して配慮をする。「私がちゃんとリスペクトされてる」っていう感覚がお互いにあれば、それはもしかしたらむしろ迷惑をかけた方がいいかもしれないって思うんです。
これ、ロバート・D・パットナムっていう研究者のソーシャル・キャピタル(社会関係資本)の話を考えると、納得出来ることなんじゃないかと思うんですよね。ソーシャル・キャピタルの話で、僕がすごく面白いと思うのは、経済資本と違って、ソーシャル・キャピタルは「使うほど増える」性質を持ってるっていう話です。
顔を合わせる機会が多いほど親密性は増す可能性があるし、協調行動の蓄積は次の協調行動を促していく。つまり、お互いに迷惑をかけ合って、配慮し合うっていう、そこで発生したキャピタルを使うことで増やしていくっていうのが、基本的にはいいんじゃないかって思うわけです。
配慮してる、自分が配慮してることに対して配慮してくれたっていう、そういう確認をする中で、「この人いい人なんだな」みたいな人間関係ができたら、それは悪い話じゃないんじゃないかなって思うんですよね。お互いに迷惑をかけ合うぐらいの方が関係性としては高まって、それはソーシャル・キャピタルになる。そういう配慮し合える関係性みたいなのが、近所の中であると、すごくいいんじゃないかなって思うんです。
日本で育つと「他人に迷惑をかけちゃいけない」という規範が心に刻まれますけど、「迷惑をかけること」自体が悪いわけじゃなくて、正しい「迷惑のかけ方」がわからなくなっちゃってるのが問題なんじゃないか、と思うわけです。

でも、誰とでも配慮し合うのは無理でしょ?
ただ、ここで「でも、人間関係って煩わしいし、めんどくさいじゃないですか」っていう話が出てくると思うんですよ。
確かに、誰とでも何か配慮し合ってっていうのは、すごくめんどくさいですよね。特に都市化以降の個人主義のベースで育った人としては、粘着性のあるややこしさみたいなのが人間関係の中に見え隠れしちゃうところがあって、昔ながらの濃密な人間関係の窮屈さっていうのは勘弁してほしいと思うんじゃないかと思います。
今の時代、ネットや都会では「合う人だけ」で繋がれるようになってますよね。気の合う友達、同じ趣味の人、同じ価値観の人。そういう人たちとだけ付き合えばいい。それはそれで楽だし、いいと思うんですよ。わざわざ合わない人と無理して付き合う必要なんてない。
だからこそ、地域の「たまたま居合わせた人」との繋がり
でも、「合う人だけ」で固まっちゃうと、実は問題があるなとも思うんです。
同じような価値観、同じような情報にしかさらされなくなって、いわゆるフィルターバブルみたいな状態になっちゃう。そうすると、自分たちと違う考え方の人たちとの距離がどんどん遠くなっていくんですよね。結果として、社会全体が分断されていって、お互いに理解し合えなくなる。それって、すごく危険な社会なんじゃないかと思うんです。
で、地域っていうのは、ネットと違って「合う人だけ」を選べないじゃないですか。だって、そんなに簡単に引っ越しできないわけだから。隣に誰が住んでるか、近くにどんな人がいるか、それは選べない。「たまたま居合わせた人」と付き合わざるを得ない部分がある。
昔のムラ社会みたいに100%そこだけっていうのは窮屈だけど、今はネットや都会で「合う人だけ」の世界も持てるわけだから、地域では「たまたま居合わせた人」とのゆるい薄い繋がりっていうのが、ちょうどいいバランスなんじゃないかなって思うんです。
この「合わない人とも付き合う」経験が、フィルターバブル化へのカウンターバランスになる。自分とは違う価値観の人がいて、それでも同じ地域で暮らしていて、お互いに配慮し合いながら生きていく。そういう経験があるからこそ、社会全体として分断されずに済むんじゃないかって思うんですよね。
だから、たまたまその場でやっていけそうな関係性に関しては、積極的にお互いに迷惑をかけ合い、配慮し合う。そこで発生したソーシャル・キャピタルを使うことで増やしていく。そういう地域での繋がりが、これからの社会にとってすごく大事なんじゃないかなって思います。
というわけで、今日は京都の町家の話から、「迷惑をかけること」と「配慮に対する配慮」、そして「たまたま居合わせた人」との繋がりの価値について、歩きながら考えてみました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。家に着いたので、今日はこの辺で。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!
著者プロフィール
渡邉 寧YASUSHI WATANABE
慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡りマーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い。 経歴と研究実績はこちら。
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