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2019.7.12

自分はリベラル保守だな、これは

渡邉 寧 | 株式会社かえる 代表取締役

「保守」と「リベラル」

中島岳志さんの「「リベラル保守」宣言」を読んでの読書メモ。

中島岳志さんは、これからの日本の社会づくりを考える上では是非とも耳を傾けた方が良い学者さんだと思います。

日本は、人口構成を始めとした社会経済環境が緩やかに、ただし不可逆的に変化しています。昨日新聞を読んでいたら、2019年は前年に比べて人口が43万人減ったそうで、一方で外国人数は17万人増と過去最大だったそうです。

中長期を見据えると、未来は今とは違う社会経済環境になるわけで、そういう未来に向けて自分たちは自分たちの社会をどうしたいのか?ということを意識的に考える必要があります。

中島さんは、「保守とは何か?」「リベラルとは何か?」ということを分かりやすく整理した上でリベラル保守という立場を提示します。

私たち日本人は「保守」という立場をよく理解していなのだと思いますが、ヨーロッパにおける「保守」とは人間の理性には限界があると考える立場です。平たく言ってしまえば、「人間そんなに頭が良いわけではないのだから、社会変革は結構な確率で失敗する。だから、社会変革をする時は、それを伝統や歴史と照らし合わせて、少しずつ変えていくべき」という心の構えを持つこと。

「保守的である」というと、日本では「抵抗勢力」のようなネガティブなレッテルを張られかねませんが、ヨーロッパ保守の考え方自体は至極まっとうで、「世の中には、変えて良いことと、変えてはいけないことがありますよね?そこの所、精査しましたか?」という問いを持って社会変革に携わる立場だと感じます。

一方、「リベラル」は自由/自由主義と訳されますが、同時に「寛容」という意味がとても大切。ヨーロッパは中世から近代において、血で血を洗う宗教対立を行ってきたことを歴史の記憶として持っています。だから、どんなに違和感を感じる宗教であったとしても、ヒトとして究極的な所での価値観は共有していると信じ、たがいに対して寛容な態度を取ることが必要という立場を取ります。

保守とリベラルは対立概念ではない

こう考えていくと、確かに、保守とリベラルは対立概念にはなりません。むしろ、ヨーロッパの歴史を紐解くと、保守の立場を取るとリベラルになる、つまり「リベラル保守になる」のが普通なんだろうと思います。例えばドイツのメルケル首相などは、

しかしわたしたちは同時に、ヨーロッパ大陸が何世紀にもわたって苦労しつつ、特に一つのことを学ばねばならなかったのも知っているのです。その一つのこととは、人々が人間の尊厳や自由、責任について共通の理解を有するなら、たとえそれぞれの違いはあっても穏やかに調和できるということです。そして、それがあってこそ、平和な共生も可能なのです。ヨーロッパという家は、この認識の上に建てられています。現在ではその屋根の下に五億人が暮らしています。これらの人々は本質的な確信を共有し、平和と繁栄のなかに生き、個人の尊厳を犯すことは許されないという考えを受け入れ、それを信じ、ヨーロッパの異なる宗教のなかにあっても尊敬と寛容さを持ちつつ生活が営まれることを示すのです
(出所 メルケルの著書「ヨーロッパの価値」2010年)

と言っています。メルケルはここ300年くらいの歴史と照らし合わせて、あるべき政策を語ることが多く、そういう意味では明確に保守に見えます。と同時に、移民の受け入れ等、多様性に対して寛容な態度を取っており、その意味ではリベラルに見えます。

今の日本にはリベラル保守が必要

ホモサピエンスは「言葉」という道具を発明したので、他者の歴史的経験を己の血肉として使うことが出来ます。ヨーロッパは狭い地域に多様な民族・宗教・文化が混在していたがゆえに、多くの悲劇を経験し、その歴史的記憶を受け継いで今のリベラル保守の立場に至りました。

日本も、ヨーロッパ同様狭い地域の中で多様性が拡大しつつあります。外国人が増えることによる民族・宗教・文化の多様性もあるし、経済的格差を背景とした多様性も拡大傾向にあります。日本文化は不確実性の回避が高く、変化は脅威として捉えられます。よって、多様性の増大は社会的な不安感を増加させる。また、経済力の低下に対する将来不安は、多くの人の中にあり、年々増加する傾向にあります。

こうした心理的不安を背景として、強い権力に頼りたいという社会的空気が日本の中にはあります。強権的な政治手法は「決められる政治」として人気を博していますし、他者に対する断定的な物言いや高圧的な態度さえも「強さ」として認知されるようになってきました。

ヨーロッパ保守はフランス革命に対する痛烈な反省を背景に持っていますが、日本はこのまま行くとフランス革命で観察されたような「民主的専制」に至ることが予想されます。そしてそれは欧州の歴史的にはあまり好ましい結果をもたらさなかったことを我々は知っています。

他者の失敗を「言葉」によって己の血肉にすることが出来るのがホモサピエンスです。よって、我々は一体今何に直面しているのか。このまま行くと将来どのような帰結に至る可能性があるのか。そうしたことは「言葉」を通じて伝えられていく必要があるのだと思います。

中島岳志さんがされていることは正にそういうことだと思います。変化する日本の社会づくりを考えていく上で、私は彼の話にはよく耳を傾けるべきだと感じます。

著者プロフィール

渡邉 寧YASUSHI WATANABE

慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡りマーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立し、現在は「人と組織が変わること」に焦点を絞ったコンサルティングに取り組んでいる。プライベートではアシュタンガヨガに取り組み、ヨガインストラクターでもある。 株式会社かえる 代表取締役

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