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日本人は褒めるのが下手である
ちょっと前に、ある大手日本企業クライアントのグローバル人事担当の方と話をしている時に、「うちの日本人管理職は人を褒めるのが本当に下手で・・・」という話を聞きました。外国人メンバーをマネジメントするポジションになる人達がこれでは困るので、トレーニング出来るかどうかという話でした。
個人的には、日本企業(ソニー)で働いていた時は、要所要所で褒められていた記憶もあり、確かに日本企業全般としては褒めないマネージャーが多いのかもしれないけれど、世代の差も想定され、特に最近の若い人たちの傾向としてはどうなのかな・・・と思っていました。
そんな中、最近、別の日本企業のプロジェクトで、上司・部下の1on1ミーティングを観察させてもらう機会がありました。まだ新しいIT系の会社ですが、ここでは大半のマネージャー(20代~30代)がダメ出し9割のフィードバックをしていました。その後若いメンバー達に話を聞いたところ「入社してから褒められた記憶が無い」とのこと。世代に関わらず、確かに日本企業のマネージャーは褒めるのが下手なのかもしれません。
日本人はなぜ褒めないのか?
それにしても、仮にそれが事実だとしたら、なぜ日本人は褒めないのでしょう?
世の中には「人は褒められて伸びるものだ」という言説も溢れています。もし人は褒められて伸びるのだとしたら、マネージャーのフィードバックの9割がダメ出しというような組織では、人は上手く成長できず、結果として組織も立ち行かなくなるかもしれません。
日本人が褒めない傾向にある理由はなんなんだろうと思いながら、色々調べていたら、京都大学こころの未来研究センターの内田由紀子教授の書かれた文章が目に留まり、2001年に実施された面白い実験の研究を見つけました。(出所「文化を実験する 第3章 文化変容と心の適応」)
(Heine, S. J., Kitayama, S., Lehman, D. R., Takata, T., Ide, E., Leung, C., & Matsumoto, H. (2001). Divergent consequences of Success and Failure in Japan and North America; An Investigation of Self-Improving Motivations and Malleable Selves. Journal of Personality and Social Psychology, 81, 599-615)
これは、日本とカナダの学生を対象とした比較実験に基づいたものです。実験の立て付けはこうです。
この実験では、RAT(Remote Associates Test)というテストが使われました。テストの難易度の高低で2バージョン作り、日本・カナダ共に、難易度の高いテストを受ける群と易しいテスト受ける群に分けます。
実験のテスト1では、まず8分間テストを受けてもらい、答えを渡し、その採点をさせて自分の結果を把握させます。難しいテストを受けた場合は、得点は50パーセンタイル以下に、易しいテストを受けた場合は50パーセンタイル以上の得点になるように難易度設計されています。
このテストを受けた後、学生達はPC上でEQテストを受けるように言われるのですが、この時PCがクラッシュする仕掛けになっています。試験官は混乱し、「教授に新しいファイルを貰いに行かなければならない」と言います。そして、教授を探す間、「試験には含まれないのだけれど、自分が教授を探している間、良かったら解いても良い」といって、新しいRATのセットを学生に渡します。
ここが実験の肝になっていて、この新しいRATを自発的に学生が解くかどうかが観察されます。PCがクラッシュしたというのはお芝居で、試験官が出て行った後、隠しカメラで学生が新しいRATの問題を解くかどうかが記録されます。
結果は非常に明確で、興味深いものでした。
カナダの学生は、易しい問題を解いて成功している場合の方が追加のRATセットにより多く手を付けたのに対して、日本の学生は、難しい問題を解いて失敗している場合の方が、追加のRATセットにより多く手を付けました。
つまり、日本の学生は失敗した時の方が動機付けがされたということです。
なぜ、日本人は失敗すると動機付けされるのか
論文では、日本では北米に比べ、努力が報われると考えられていることが、動機付けの差の背景にあるのではないかと議論されています。大学入試を例に取れば、日本では何年も予備校に通い、自分が出来ていないところを明確にして努力してそこを学習します。一方で、北米の大学入試のテストは基本的な知識を確認するものであって、何年も試験勉強に時間を使って努力する類のものであるとは考えられていません。
この、「出来ない所を克服する」という動機付けは、受験だけでなく就職と就職後の身の立て方にもみられます。
慶応義塾大学の小熊英二教授は日本の戦後史を総合的に記述する研究の中で、日本の雇用・教育・福祉がどのような経緯で現在のような「慣習の束」を形成するに至ったかということを分厚い調査に基づいて記述しています。
(出所「日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学」小熊英二)
この中で、日本の大企業における「日本的雇用」においては、社員は職種にアイデンティティを持っておらず、所属企業にアイデンティティを持つ「企業のメンバーシップ」型の雇用慣行がなされていると言います。これは、職種にアイデンティティを持つドイツなどの「職種のメンバーシップ」やアメリカの「制度化された自由労働市場」とは異なります。
この雇用慣行においては、新卒一括採用に代表されるように、入社前と入社後で想定する担当業務内容が大きく変わることが良くあります。というより、新卒採用では、どこに配属されるかは、入ってみないと分かりません。入社後に経営管理をするかもしれないし、商品開発担当になるかもしれないし、営業・マーケティングを行うかもしれないし、生産管理をするかもしれない。
このような雇用環境においては、仕事が変わったらフレキシブルに対応出来る人物が好ましい。大事なのは、入社後の「頑張り」であり、よって入社時にはその人の知識や専門性よりも、柔軟性や地頭の良さを重視する傾向にあります。
なぜ、就職の際に、東京大学をはじめとした国立大学卒の人材が好まれるかというと、それは数学・理科・社会・国語・英語・・・と苦手科目を克服する地頭とフレキシビリティがあるということの証明とみなされるからというのも、納得の行く話です。
このような社会の仕組みの影響下では、出来ないことを発見して、努力することで素早く克服していくこと/その姿勢を見せる事はとても大切なことです。その為、失敗を見つけてそれを克服するように動機付けされるというのは、日本においては自然なことなのかもしれません。
今後もこのやり方で良いのか?
このように考えていくと、日本の大企業でマネージャーがメンバーを褒めない理由は良くわかりますし、メンバーもダメ出しをされることに違和感を感じない理由も納得できます。
前述のプロジェクトで、若手のマネージャーに話を聞いていた時に、「最近の若いメンバーの中には、「自分が出来ていないことを、はっきり教えてください」と言ってくる者がいる」と報告してくれる人が居ました。この若いメンバーの姿勢は、「がんばりを評価する」という日本的雇用の文脈ではごくごく自然なものなのだと思います。
このように考えていくと、「管理職はもっとメンバーを褒めるようにしましょう」と言うのは、日本の大企業における文化的・精神的システムを考えると、不必要なばかりか、メンバーのモチベーションを下げ、逆効果になるかもしれません。
日本の大企業は、職務よりも人物中心の採用と育成を行っており、その良さもあると思います。例えば、何かが飛びぬけて優れて居なくても、頑張れば評価される可能性があるという意味で、良い環境と言えるのかもしれません。
とは言うものの、やはりどうも違和感があります。それなりの長期間続いてきた、大企業の日本的雇用を考えると、「ダメ出し9割」のフィードバックは理にかなっていたのかもしれない。しかし問題は、変わりゆく市場環境の中で、このようなやり方を続けていて良いのだろうか?ということです。
例えば、IT領域においては、多くのイノベーションがアメリカ発になっていますが、アメリカは個人の個性を褒めて伸ばす方式を取ります。他人と違っていて当たり前、得意・不得意の凸凹があるのは当たり前。あまりにも褒めるのが当たり前なので、逆にダメ出しをするのが非常に難しい。アメリカのフィードバックの本を読むと、ネガティブフィードバックは如何に注意して行わなければならないか、というようなことが書いてあります。(例えば、ケン・ブラチャードの「1分間マネージャー」や、ダグラス・ストーンらの「ハーバードあなたを成長させるフィードバックの授業」)
更に、時代背景の変化による影響も考慮する必要があります。内田由紀子教授らが2011年に行った、上で紹介した2001年の実験の追調査では、ニート指数によるグループ分けをして、動機づけが変わるかどうかが確認されています。その結果、ニート指数の低い群は、やはり失敗した時に動機付けがされたものの、ニート指数の高い群は、北米の学生同様に成功した時の方が動機付けがなされるという結果となりました。(出所 Norasakkunkit, V., Uchida, Y. (2011). Psychological Consequences of Postindustrial Anomie on Self and Motivation Among Japanese Youth. Journal of Social Issues, Vol.67, No.4, 2011, pp.774-786)
このことは、同じ日本人であったとしても、どのような社会システムを想定して生きているかによって、動機付けのされ方は変わってくるということを示しています。
これまでの日本の大企業は、雇用モビリティが低く、スペシャリスト型ではなくジェネラリスト型の人材がより機能しやすい雇用慣行を保ってきました。その為、集団中の相互関係に生きる日本人大企業社員は、欠点を素早く克服することに動機付けされてきました。
平均的に一定基準を満たすジェネラリストの集団として、今後も日本の大企業が価値創造を行って行くのであれば、出来ない事を指摘してそれを克服する頑張りを評価するフィードバックを行って行くのは十分あり得ると思います。(業種によってはこちらの方が良いことも多いと、個人的には思います)
一方で、もし、企業がスペシャリスト型の人材グループで価値創造を行って行くのであれば、フィードバックのあり方もアメリカ的な方法を採用した方が良いのかもしれません。また、組織内のメンバーの社会的背景が多様化していく場合は、フィードバックの方法をネガティブ/ポジティブで組み合わせていく必要があるのかもしれません。
結局、「褒めるか褒めないか」一つとっても、戦略とそれに基づく組織像の検討が必要
「褒めるか、褒めないか」というのは、日常のコミュニケーションのほんの些細な話ではあります。しかし、そんな些細なことであっても、組織としての方針を決めるのであれば、組織としてどのような人材を集め、どのように価値創造を行って行くかという根本的な方針を検討する必要が出てきます。
そこを考えずに、「もっと褒めましょう」「ダメ出しはパワハラですから止めましょう」みたいな方針を出したとしても、組織には定着しないし、逆効果になることもあるでしょう。
組織と人材に関する、現場の変革プロジェクトの難しさはここにあります。小熊英二教授は「慣習の束」という言い方をしていました。組織のシステム全体が、どのように成立しているのか。そこにはどのような目に見える制度と目に見えない価値観があるのか。それは時間軸の中でどのように変化しているのか。そういう視座から、局所的な現象として起こっている問題(例えば、マネージャーが褒めるのが下手)を見ないと、介入の仕方を間違えてしまうのが組織変革プロジェクトだと感じます。
著者プロフィール
渡邉 寧YASUSHI WATANABE
慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡りマーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立し、現在は「人と組織が変わること」に焦点を絞ったコンサルティングに取り組んでいる。プライベートではアシュタンガヨガに取り組み、ヨガインストラクターでもある。 株式会社かえる 代表取締役。
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