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6次元モデル(異文化を理解するフレームワーク)ブログ歩きながら考える
2026.4.14 NEW
AIは人間より危険か? 核シミュレーションと文化のバイアス – 歩きながら考える vol.269
渡邉 寧 | 京都大学博士(人間・環境学)
今日のテーマは、AIに核のボタンを持たせたらどうなるか、そしてその問いへの反応が文化によって異なるという話。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。
こんにちは。今日は朝の移動時間を使って、ちょっと気になった新聞記事の話をしようと思います。4月7日の日経新聞の記事で、AIに核のボタンを持たせたらどうなるかというシミュレーションの話が出ていて、そこから色々考えちゃったんですよね。歩きながら、ゆるく話してみます。
AIが核のボタンを押した日
記事の中身はこうです。キングス・カレッジ・ロンドンのケネス・ペイン教授が今年2月にシミュレーション結果を公開して、安全保障の専門家に衝撃を与えたという話。AnthropicとOpenAIとGoogleの3社のAIに核保有国の指導者の役割を演じさせて、互いの行動を読みながら領土を奪い合う対戦ゲームを繰り返したところ、21回の対戦のうち3回が全面的な核戦争に発展したそうです。
人間を上回る判断スピードを持つAI同士が主導する戦争では、人間が制御できないスピードで攻防がエスカレートする「フラッシュウォー(瞬間的戦争)」に至る可能性がある、というのが記事の趣旨です。
ペイン教授の立場としては、AIには人間のような歴史的・倫理的な恐怖、いわば「核のタブー」が欠如しているから危険だ、ということなんだと思います。身体性がなく、核戦争がもたらす帰結を「恐怖」として体感できないから、計算上の利得を優先してボタンを押してしまう。これは確かに一つの重要な懸念です。

でも、人間の方がよっぽど怖くない?
で、ここからが僕の感覚なんですけど、この記事を読んだ時に最初に思ったのは、「人間がやっても同じくらいボタン押すんじゃないの?」ということでした。
キューバ危機の時っていうのが、多分一番、本当に核戦争になるんじゃないかっていう危機意識が高まった時だと思うんですけど、あの時は免れた。だけど、あれは1回だったから免れたのであって、21回やったら3回ぐらいは押すことになったかもしれない。もしかしたら3回以上かもしれない。人間には恐怖やタブーがあるとはいえ、同時に怒り、面子、疑心暗鬼、誤判断もあるわけですからね。
つまり僕の中では、AIへの不信感がそこまで強くない一方で、人間への信頼もそこまで高くない。だからペイン教授の「AIは危険だ」という議論を読んでも、「そうかもしれないけど、人間だってかなり危ないでしょ」と思ってしまう。これは僕個人の感覚、N=1の話ではあるんですが、なぜそう感じるのかを考えていくと、ちょっと面白い話に繋がるんですよね。
ドラえもんとターミネーター:AIへの眼差しの文化差
なぜ僕がそう感じるのかっていうと、おそらく文化的な背景が関係していると思うんです。
文化心理学や文化人類学の領域では、東アジアと欧米でAIやロボットに対する態度が異なるという研究がかなり蓄積されています。東アジアにはアニミズム的な考え方がある。川にも森にも山にも魂が宿るという世界観の中では、AIやロボットも人間と対等な存在として受け入れやすい。ドラえもんとか鉄腕アトムって、まさにその象徴ですよね。ロボットが家族の一員として普通にいる世界。
一方、キリスト教的な世界観が深層にある場合だと、人間は神の創造物の中で特異な地位にいて、他の存在よりも優位性を持っているという考え方になる。知性というのは神が人間だけに与えた聖域であって、それを模倣するAIに対しては強い警戒心と拒絶反応が生まれやすい。ターミネーターとかマトリックスのような「AIが人類を脅かす」というフレーミングは、こうした文化的土壌と無関係ではないと思います。
実際、京大の法学の先生の講義で、国際学会でAIと法律の話をした時に、ヨーロッパの先生が「AIに知性を認めるなどとんでもない話だ」というような態度で議論してきたという話を聞いたことがあります。技術的な議論というより、もっと深いところにある人間観の違いが、AIに対する反応の違いを生んでいるじゃないかと思うわけです。
そして、こうした文化差はデータにも表れています。Edelman Trust Barometerの2025年の調査によると、AIへの信頼度は中国で87%と非常に高い一方、米国では32%、ドイツでは39%にとどまっています。もちろんこの差には経済政策やAI産業の発展度合いなど様々な要因が絡んでいるでしょうが、AIをどう捉えるかという態度の根底に文化的な違いがあるという仮説とは矛盾しない数字だと思います。

AIへの信頼はこれまでの理論で語りきれるのか
そう考えると、「AIに核のボタンを持たせたら世界が滅ぶ」というフレーミングで記事が書かれること自体が、ある種の文化的バイアスを反映しているのかもしれないな、と思うわけです。もちろんリスクはリスクとしてきちんと認識した上で、どうやってAIを世界の幸福のために使えるかを考えるのが本筋だと思いますが、その議論の出発点にある「AIは怖い」という前提が、どこまで普遍的なもので、どこからが文化に依存しているのかは、もうちょっと丁寧に見てもいいんじゃないかと。
そして、僕が今研究として考えたいのは、ここから先の話です。これまでのテクノアニミズムやキリスト教的人間観といった理論的な枠組みは、AIが本格的に普及する以前の議論がベースになっています。でも今は、AIを日常的に使っている人がどんどん増えている。特に若年層のように、AIとの接点が早くから多い人たちが、AIに対してどんな信頼感や不信感を持つのかは、従来の理論だけでは語りきれない部分があるんじゃないかと感じています。経験が認識を変えるというのは心理学の基本ですが、AIとの経験が文化的な態度をどう書き換えていくのか。このあたりが、これからの研究テーマとして面白いところだと思っています。
というわけで、今日は日経新聞の「AIと核のボタン」の記事から始まって、AIは人間より危険なのか、そしてその問いへの反応が文化によって違うという話まで、歩きながら考えてみました。
この記事が少しでも面白い・役に立ったと思ったら、ぜひいいねやフォローをしてくれると励みになります。最後まで読んでくださり、ありがとうございます。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!
著者プロフィール
渡邉 寧YASUSHI WATANABE
慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡りマーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い。 経歴と研究実績はこちら。
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