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今日のテーマは、AIエージェントが変える実験と実務の未来について。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。
こんにちは。今日は大学からの帰り道を歩きながら、ずっと頭の片隅にあったことを話してみようと思います。調査プロジェクトの「もったいなさ」についてです。幸福度調査にしろ企業の従業員サーベイにしろ、データを集めて、分析して、報告する。あのプロセス、もうちょっとなんとかならないかなと。
「データとの対話」に参加できていない人たち
調査プロジェクトって、どこでも基本的には同じ流れですよね。調査票を設計して、データを集めて、分析して、報告書にまとめて、施策の立案者や意思決定者に渡す。
でも、ここに構造的な問題がある気がしているんです。施策を考える人たち自身が、データの分析プロセスに参加していない。
分析って、結構データとの対話なんですよね。「こうかな」と思って分析して、結果が違う。じゃあこっちの角度から見てみよう。なるほど、やっぱりこういうことなのか——。この対話的なプロセスの中で新しいアイデアが生まれるし、「自分で見つけた」という感覚が施策へのコミットメントにもつながる。本当はここが一番おいしいプロセスなのに、施策を立案する人たちがそこに参加できていない。
もちろん、直接市民や従業員にインタビューして「こういう施策を考えてるんだけど、どう思いますか?」と聞ければ理想的です。でも、通常のフィールドワークだとサンプルの妥当性の問題が出てくるし、定量調査してデータを取って、分析結果を見て施策を作って、また調査してその施策の評価を聞いて……とやっていたら、ものすごい時間とコストがかかるし、現実的ではない。
この問題を解決する方法が、AIエージェントによるシミュレーションなんじゃないか。最近そう考え始めています。

AIが「デジタルな市民」を再現する研究が積み上がっている
この方向の研究、実はかなり急速に積み上がってきています。
例えば、スタンフォード大学のJoon Sung Parkらの研究では、1,052人の実在の個人を対象に2時間のインタビューを行い、そのデータをLLM(大規模言語モデル)に組み込んでAIエージェントを構築しています。エージェントに社会調査への回答をさせたところ、本人の回答をかなりの精度で再現できたとのこと。
日本でも動きが出ています。トヨタのCitySimは東京都市圏で1,000体のエージェントを使い、幸福度予測を含む都市シミュレーションに取り組んでいます。富士通もPolicy Twinという試みで、自治体の政策をデジタルリハーサルで事前検証するアプローチを進めています。
「調査データから回答者をAIエージェントとして再現し、施策の効果を事前にテストする」——この発想が、学術研究でも企業の実証実験でも、具体的な形になり始めているわけです。
ただし、精度の問題は率直にあると思います。先行研究を見ても、AIエージェントは回答のばらつきを再現するのが苦手で、使うモデルやプロンプトの設計次第で結果が変わってしまう。感情に根ざした判断の再現は表面的な模倣にとどまるという指摘もあります。精度を上げるにはデモグラフィック情報だけでなく性格特性データや定性データ(インタビューなど)を組み込む方向で、実際にParkらの研究でもインタビューデータを使ったエージェントはデモグラフィック情報のみの場合を大幅に上回ったと報告されています。ただし、個人データを深く使うほど倫理的なリスクも大きくなる。ケンブリッジ・アナリティカの事例では、Facebookの「いいね」データとBig Five性格特性を相関させたモデルがユーザーの同意なく政治的ターゲティングに使われ、大きな社会問題になりました。データの深さと倫理のバランスは、この領域で避けて通れない課題です。

精度が上がりきっていなくても、大きな付加価値は出せる
じゃあ精度が十分でないと使えないのかというと、僕はそうは思っていません。精度が上がりきっていない現状であっても、すでに大きな付加価値が出せる方向性がいくつかあると思っています。
一つは、回答の合成・拡張です。「Silicon Sampling」と呼ばれるアプローチで、調査に回答しなかった人や、物理的に参加できなかった層の声をAIで補完する。既存データからAIが「この属性の人ならこう答える可能性が高い」と推定できるのであれば、検討の過程で出てきた新しいアイデアを試す方向として有望です。
そしてもう一つ、僕が一番可能性を感じているのが、AIエージェントとの定性的な対話です。
冒頭で「施策の立案者がデータとの対話プロセスに参加できていない」という話をしましたよね。ここに、まさにAIエージェントが入り込める余地がある。調査回答者をAIエージェントとして再現して、施策の立案者や意思決定者が「こういう施策を考えてるんだけど、どう思いますか?」と直接対話できる環境を作る。
たとえば、市民の幸福度調査のデータから生成したAIエージェントに、「この地域に新しいコミュニティスペースを作ったら、あなたの生活にどんな影響がありそうですか?」と聞く。「本当に使いますか?忖度しないで教えてほしいんですが」みたいな踏み込んだ質問も有効かもしれません。回答をもらって、別の角度から質問して、施策を煮詰めていく。静的だったデータが、動的な対話の相手に変わる。
このアプローチの良いところは、予測の「正確さ」がすべてではないということ。大事なのは、施策を考える人がエージェントとのやりとりを通じて能動的に問いを立て始めること。報告書を受け取るだけだった人が「こういう層の人はなぜこう感じるんだろう」「じゃあこっちの切り口はどうだろう」と考え始める。そのプロセスそのものが、施策の質とコミットメントの両方を高めるのではないかと思っています。
ちなみに、AIを活用して市民の声を施策に反映させるアイデアは他にもいろいろあって、以前のブログではAIエージェント同士が政策議論をするシミュレーションや、AIが市民の声を仲介して負担と給付のバランスを見える化するというアプローチについても考えてみました。今回の「調査データからAIエージェントを作って対話する」というのは、それらとはまた別の角度からの発想です。

それでも「本物の声」との組み合わせが不可欠
ただし——ここは強調しておきたいのですが——シミュレーションであれ、回答拡張であれ、対話であれ、どの方向性でも「AIが本当に人間を再現しているのか」という妥当性の問題はつきまといます。間違った示唆に基づいて意思決定してしまうリスクは否定できない。
だからこそ、AIシミュレーションは実際の調査やフィールドワーク・インタビューとのハイブリッドアプローチで使うべきだと思います。AIで仮説を生成し、問いを磨き、そのうえで現場に出て本物の声で検証する。どちらかだけではなく、組み合わせることで初めて意味が出てくる。
僕自身、今年も市民と教職員の幸福度調査に関わる予定なので、このAIエージェントの話をどう組み込んでいけるか、ちょっと本気で考えてみたいなと思っています。現場でそのまま使えるものを作れたら、普通のリサーチペーパーよりインパクトは大きいはずなので。
まとめ
というわけで、今日はAIエージェントで幸福度調査をアップデートするというアイデアについて、歩きながら考えてみました。調査データが「報告書の中の数字」で終わるのではなく、施策を考える人たちとの対話の相手になる——そんな未来が少しずつ見えてきた気がします。
この記事が少しでも面白い・役に立ったと思ったら、ぜひいいねやフォローをしてくれると励みになります。最後まで読んでくださり、ありがとうございます。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!
著者プロフィール
渡邉 寧YASUSHI WATANABE
慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡りマーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い。 経歴と研究実績はこちら。
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