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6次元モデル(異文化を理解するフレームワーク)ブログ個人主義(IDV)歩きながら考える

2026.3.13 NEW

「日本人は冷たい」は本当か? – 歩きながら考える vol.247

渡邉 寧 | 京都大学博士(人間・環境学)

今日のテーマは、「日本人は他人に関心がない」という外国人の声から考える、人間関係のあり方について。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。

こんにちは。今日もちょっと歩きながら考えたことを話してみようと思います。きっかけはYouTubeです。インバウンドの外国人にインタビューして日本の感想を聞くっていう動画、最近やたら回ってきませんか? 僕のところにはめちゃくちゃ回ってくるんですよ。多分ホフステードの話とかやってるから、Googleの検索と連動しちゃってるんだと思うんですけど。

で、大体は「日本すごい系」なんですよね。安全だよね、ご飯美味しいよね、コンビニすごいよね、と。ところが昨日、珍しく「日本のここが嫌だ」という動画が回ってきた。イタリアの南の方出身の女性が「日本人は礼儀正しいけど冷たい。他人に関心がないみたい」と話していたんです。イタリアではカフェで見知らぬ人とすぐに話し始めるのに、日本ではそういうことが全くないから距離を感じる、と。

これを見て、ああ確かにそう見えるだろうなと思ったんですよね。で、そこから社会心理学の概念が頭に浮かんできたので、今日はそのあたりを掘ってみようと思います。

「関係流動性」が低い日本

この現象を理解するのに役立つ概念が、関係流動性(relational mobility)です。北海道大学の結城先生らが中心に研究してきた社会生態学的な概念で、要は「その社会の中で、新しい関係をどれぐらい自由に作れるか、既存の関係をどれぐらい容易に終わらせられるか」という指標です。

関係流動性が高い社会では、個人が積極的に新しい人間関係を求めて動き回ります。自分の強みや意見、好きなことを表現して、それを手がかりに気の合う人を見つけていく。北米などがこのタイプで、逆に東アジア、特に日本は関係流動性が低いことが分かっています。

日本の学校を思い出してみると、わかりやすいんじゃないでしょうか。1年4組に配属されたら、1年間同じクラスで過ごす。席も決まっていて、周りの友達といざこざを起こさず、穏やかにやっていくことが求められる。つまり、与えられた関係性の中でうまくやっていくことに、子どもの頃から徹底的に慣らされてるわけです。

だから、自分から積極的に他人に関心を持って関係を作りにいくよりも、受け身的で、既存の関係を維持するのが得意。イタリアの女性から見て「他人に関心がない」ように映るのは、この関係流動性の違いから考えると、まあそうかな、と思います。

関係流動性が高い社会は「自由」で「残酷」

じゃあ、関係流動性が高い社会のほうがいいのかっていうと、そう単純じゃないと思いますね。

関係流動性が高い社会では、人間関係にも一種の市場原理が働きます。自分で相手を選べるということは、自分も相手に選んでもらわなきゃいけない。

しかも、人間の交友範囲には上限がある。イギリスの人類学者ロビン・ダンバーが提唱した「ダンバー数」によれば、人が安定的に社会関係を維持できるのは約150人が限界とされています。枠が限られている以上、魅力的な人は魅力的な人同士で繋がりやすく、そうでない人は関係の外に押し出されがちになる。関係流動性が高い社会というのは、人間関係の自由市場であると同時に、人間関係の格差社会にもなり得るわけです。

一方で、日本のように関係流動性が低い社会では、与えられた関係の中で調和を保つ力が自然と育つ。強大な権力がなくても整然とした平和な社会が成立するのは、この特性と無関係ではないと思います。どちらにも光と影がある。

アメリカの分断が突きつける問い

ここで、ちょっと立ち止まって考えたいんです。

関係流動性が高くて、一般的信頼が高くて、個人の自由が保障されている。そういう社会のモデルケースとして、なんとなく北米の社会を「理想」として見ていたところがあったように思います。少なくとも社会心理学の文脈では、関係流動性の高さと自尊心や親密性の高さが結びついているという研究が蓄積されてきた。

でも、その「理想」の先に何が起きたか。アメリカの現状を見ると、ものすごい社会の分断が起きていますよね。能力の高いインテリ層は、自分たちのネットワークの中で豊かなコミュニティを形成していく一方で、そこから外れた人々への関心が薄れていく傾向があったんじゃないか。もちろん、社会全体に目を向ける人もいるわけだけど、構造として、関係を自由に選べることが「選ばれない人々」を生み出しやすい側面はあると思う。そこへのバックラッシュとして生まれたのが、トランプ政権という現象だったとも読めるわけです。

関係流動性が高い社会は、確かにカフェで見知らぬ人と話し始める気さくさを持っている。でも同時に、選ばれなかった人たちが深い孤立と怒りを抱える社会にもなり得る。そう考えると、本当にこれが目指すべき社会の姿だったのか、という問いが浮かんできます。

まとめ:答えの代わりに「問い」を持つこと

正直なところ、この問いに対する答えは出ていません。関係流動性が低い社会には低い社会の問題があり、高い社会には高い社会の問題がある。どちらかを理想として掲げる段階は、もう過ぎたのかもしれない。

今の段階で大事なのは、「関係流動性が高い社会が行き着いた先に何が起きたのか」、そして「日本の関係流動性の低さが守ってきたものは何だったのか」という、問いに答え、その先を考えていくことなんじゃないかと思います。答えを急ぐんじゃなくて、問いを持ち続けること自体が、これからの社会を考えるための出発点になる。そんな風に、今日は歩きながら考えていました。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。この記事が少しでも面白い・役に立ったと思ったら、ぜひいいねやフォローをしてくれると励みになります。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!

著者プロフィール

渡邉 寧YASUSHI WATANABE

慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡りマーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い。 経歴と研究実績はこちら

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