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ブログ歩きながら考える

2025.12.18

幸福度ランキングへのモヤモヤ:なぜみんな「横比較」をしたがるのか – 歩きながら考える vol.191

渡邉 寧 | 京都大学博士(人間・環境学)

今日のテーマは、幸福度調査をすると、なぜ人は他国・他地域と比較しようとするのかということについて。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。

こんにちは。今日は12月13日の日経新聞を読んでいて、なんだかなと思ったので、そのモヤモヤを話そうと思います。世界幸福度報告書(World Happiness Report)2025年版について日経が記事を書いていて、「日本は147カ国中55位、前年の51位から順位を下げた」という、例のやつです。

いろいろ割り引いて考えないといけない調査なのに

そもそも、この手の多国間での幸福度調査って、いろいろ割り引いて考えないといけない前提があるんですよね。

世界幸福度報告書のランキングは、「キャントリル・ラダー」という質問で測定されています。「人生を0から10の梯子に例えて、最高の人生が10、最悪が0として、あなたは今どの段にいますか」と聞くわけですが、「最高の人生」って何?という問題があるわけです。

つまり、この「最高の人生」の基準が文化によって違う可能性がある。ある国の人にとっての「10点」が「衣食住が足りて家族がいること」だとしたら、日本人の「10点」は「経済的にも成功し、家庭も円満で、社会的地位もあり、老後も安泰で…」と、完璧超人を想像しているかもしれない。「最高の人生」と言われた時の基準って日本の人高そうな気がしませんか?

回答傾向のバイアスもあります。日本人は10とか0とか極端なところに丸をつけない傾向がある。各国約1000人のサンプルで、東京と地方、若者と高齢者といった多様性をどこまで代表できているかという問題もある。

こういう「条件付きで解釈しないといけない」前提がたくさんあるので、「そもそも、この得点は横比較できるのか?」という気さえしてくる。なのに、メディアはすぐに「55位」「順位を下げた」という横比較に飛びついて論説を書く。そこに気持ち悪さを感じるわけです。

企業や行政の人も、すぐ横比較したがる

この「横比較に飛びつく」傾向は、メディアだけじゃないんですよね。

企業や行政の人たちと幸福度について話していても、同じことを感じます。「うちでも幸福度について考えたいんです」というのはわかるのですが、「幸福な状態」の具体的なイメージがあるわけではない。自分たちにとっての理想状態がどうなのかっていう話はほとんど空っぽです。

幸福は多義的な抽象概念だから、それはしょうがないとしても、それを具体化していったら、「私たちなりの幸福な状態」になるはずで、そうしたら横比較しようがなくなるはずじゃないですか。「私たちの」幸福と「ほかの人の」幸福は内容が違うわけだから。

なのに、そういう話になることは非常に稀で、すぐに「他社と比べてどうなのか」「全国平均と比べてどうなのか」という話が始まってしまう。なんでこんなに横比較をしたがるんだろう、と思います。

学術的には、私たちが自分の状態を評価するときの比較基準は多面的だとされています。たとえば、幸福に関する社会指標の研究者であるアレックス・ミカロスは「多重不一致理論(MDT)」の中で、幸福感は「他者」だけでなく「理想の自分」「過去の自分」「将来期待していた自分」など、7つの比較基準とのギャップで決まると論じています。

比較の観点はいろいろあるはずなのに、日本ではその中でも「他者との比較」に重きを置きすぎているんじゃないか。それが僕の実感です。

文化的には分かる、でも行き過ぎると…

この傾向は、文化的には理解できます。文化的に言えば、日本は相互協調的な文化であり、周囲との関係の中で自分を位置づける傾向が強い。一言先生と内田先生の「協調的幸福感尺度」でも、「人並み感」が幸福感の構成要素として含まれています。

社会学では「準拠集団」という概念があります。人は自分の状態を評価するとき、何らかの比較対象となる集団を参照する。その集団と比べて自分がどうかで、満足したり不満を感じたりする。日本人にとって、この準拠集団との比較が幸福感を左右する度合いが大きいのは、文化的にはそうだろうな、と思います。

でも、あえて言わせてもらえれば、これ行き過ぎるとおかしなことになりませんか?

だって、準拠集団との比較で幸福が決まるなら、「周りが不幸だったら、あなたは幸福になるんですか?」という話になるじゃないですか。

他と比較して安心したり問題意識を持ったりするという状態って、とても不安定ですよね。ある時、他の自治体より幸福度が高かったから安心していたとして、じゃあその周りの自治体が努力してより幸福な地域になったら、あなたの地域は不幸を感じるんですか?ということですよね。

「私たちの幸福とはこういうものだ」と言えるリーダーがほしい

だから、バランスが大事なんだと思います。他者との比較を捨てろとは言わない。でも、それだけに依存していると、ゼロサム的な発想に陥ってしまう。

特に、社会をリードする立場にある人には、「こういう人生のことを、僕らは幸福って呼ぶんじゃないのか?」という基準を提示する役割があるんじゃないでしょうか。「私たちはこういう状態で生きていきたいよね」という理想を言葉にして、それとの照らし合わせで現状を評価する。同じ地域や組織の中で経年の変化を追っていく。そういう使い方なら、幸福度指標にも意味があると思うんですよ。

政治や企業マネジメントの中に、「うちの幸福とはこういうものだ」と定義できる人が一定数いてほしい。横比較に逃げるのではなく、自分たちの理想を言語化できるリーダーが必要なんじゃないかな、と思います。

というわけで、今日は幸福度ランキングへのモヤモヤについて、特に「横比較」への違和感を中心に話してみました。この記事が少しでも面白い・役に立ったと思ったら、ぜひいいねやフォローをしてくれると励みになります。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!

著者プロフィール

渡邉 寧YASUSHI WATANABE

慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡りマーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い。 経歴と研究実績はこちら

プロフィール詳細

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