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6次元モデル(異文化を理解するフレームワーク)ブログ歩きながら考える
2025.9.8
成長するほど馬鹿になる:賢さと愚かさのパラドックス – 歩きながら考える vol.122
渡邉 寧 | 京都大学博士(人間・環境学)
今日のテーマは、ある領域で一生懸命成果を積み上げれば積み上げるほど、評価基準が固定化される現象とその対策について。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。
こんにちは。今日は駅まで歩きながら、最近読んだ毎日新聞の記事(2025年8月22日)について考えたことを話してみようと思います。東京・上野にできた「学術バー Q」っていう面白い場所の話なんですけど、これが思った以上に深い話につながったので、ゆるく話してみますね。
上野にできた不思議なバー「学術バー Q」
まず、この学術バー Qがどんな場所か、簡単に記事の内容を紹介します。
上野駅から歩いて5分、御徒町駅から2分のところにあるバーなんだそうですけど、普通のバーとは全然違いますね。若手研究者とか大学院生が毎晩やってきて、自分の研究について熱く語る。「きのこから始める生物学」とか「前近代の琉球を地政学的に眺める」とか、めちゃくちゃマニアックなテーマが日替わりで展開されるそうです。
料金は1時間1000円(学生500円)のタイムチャージ制。20人くらいしか入れない小さな店で、講師との距離が近いから気軽に質問もできる。店長の山口真幸さんは東大で社会心理学を学んだ後、2024年4月にこの店をオープンさせたそうです。
面白いのは、講師を選ぶときに査読付き論文への掲載実績なども加味して審査してること。つまり「誰でも何でもあり」じゃなくて、一定の学術的な質を担保してるんです。ちゃんとした研究者が、一般の人向けに研究の話をする場所なんですね。
で、この記事を読んで「いいなあ」って思ったんですけど、なんでいいと思ったのか、歩きながら考えてたら、けっこう大事な話につながったんですよ。

論文投稿という果てしない戦いの中で起きること
僕は実務をしながら研究活動もしているんですけど、研究をしていて一番感じるのは、論文投稿が本当に大変だってことなんです。
研究って一人でやってるんじゃなくて、基本的にはコミュニティとして知識を積み重ねていく活動なんですよね。だから論文を投稿すると、その領域の他の研究者が査読をする。で、これがまた厳しいコメントが返ってくるんです。
「この前提知識が抜けてる」とか「この分析手法は妥当じゃない」とか、各研究領域で「当たり前」とされてる基準で容赦なく評価される。それを通すのが本当に難しくて、時間もリソースも集中力も、全部つぎ込まないといけない。
なんでそこまでするかって言うと、論文が通らないと研究者として認められないし、研究費も取れないし、仕事も得られない。生きていくために、そのコミュニティの他の研究者に認められる必要があるわけですね。
そうやって全集中してると、だんだんその評価基準が自分の中に染み込んでくるんですよね。「こう書けば査読者に伝わる」「この理論を引用すれば説得力が増す」みたいな。
でも、ふとした時に一般の人から「どんな研究してるんですか?」って聞かれて説明すると、なんだかよくわからない顔をされる。自分で話してても「これって結局、世の中の何の役に立つという話なんだっけ」「この人にとって何が面白いんだろう」って疑問が頭をよぎる。
これ、めちゃくちゃ難しいなって思うんです。

知らないうちに起きる「評価基準の内面化」
ここで起きてるのが「評価基準の内面化」っていう現象なんです。
最初は「論文を通すために戦術的に」従ってた基準が、いつの間にか「これが普通の考え方」に変わる。認められるために必死に自分を当てはめようとしていた、外部の「ものさし」が、知らぬ間に、自分の中の「ものさし」になっちゃうんです。
これ、研究だけの話じゃないと思いますよ。
会社で長年働いてると、「上司に評価される書類の作り方」が身について、いつの間にか「これが一般的な書類の作り方だ」って信じるようになる。地域コミュニティに長くいると、「この地域ではこうするのが当たり前」が自分の価値観になる。学校でも「テストで点を取る勉強法」が「正しい勉強法」だと思い込むようになる。
問題は、その内面化された基準って、そのコミュニティの中では有効だけど、他の場所では通用しない可能性が高いってことなんです。
研究コミュニティで評価される論文の書き方は、一般の人には難解すぎる。会社で評価される資料は、お客様には伝わらない。地域の常識は、他の地域では非常識かもしれない。
社会とつながりを失うことのもったいなさ
せっかく研究してることが、研究コミュニティには通じるけど、実社会とどんどん離れていく。これはヤバい落とし穴だと思います。
確かに基礎研究みたいに、すぐには実社会の役に立たないものもあります。でも、多くの研究って、実は何らかの形で社会とつながってるはずなんですよ。環境問題、健康、教育、テクノロジー、文化理解…どこかで誰かの生活に関わってくる。
なのに、その接点が見えなくなっちゃう。研究者自身も「すぐに現場の役に立つわけじゃないのが研究だから」って自己弁護しちゃう。社会の側も「研究者って何やってるかわからない」ってなる。お互いにとって損失ですよね。
もう一つもったいないのは、内面化された評価基準って、自分がもともと持ってた知的好奇心とか関心と、必ずしも一致しない可能性があるってことなんです。
「きのこが面白い!」って思って研究始めたのに、いつの間にか「論文になりやすいテーマ」ばかり追いかけてる。「お客様を笑顔にしたい」って入社したのに、「社内評価が上がる仕事」ばかりやってる。
自分が本当に面白いと思ってたこと、大切にしてたことが、どこかに置き去りになっちゃう。これも、すごくもったいない。

学術バーが提供する「異なる評価軸との出会い」
で、ここで学術バー Qの価値が見えてくるように感じたわけです。
研究者が、全然違う評価基準を持つ人たちに向けて研究を説明する。参加者は「面白いか」「わかりやすいか」「自分の生活とどう関わるか」みたいな、学術界とは違う「ものさし」で話を聞く。
「なんでそれ研究してるの?」「それって私たちの生活にどう関係あるの?」「もっと簡単に言うと?」
こういう質問って、最初は戸惑うかもしれない。でも、これこそが内面化された評価基準への「揺さぶり」なんだと思います。
違う評価軸を持つ人にアウトプットすることで、「あ、こういう基準で研究を進めると現実世界から離れちゃうのか」って気づく。「そういえば、最初はこれが面白くて研究始めたんだった」って思い出す。「この研究、こんな風に説明すれば伝わるんだ」って発見する。
1時間1000円で、仕事帰りに寄れて、研究者と話せる。自分の知らなかった領域の話が聞けるかもしれないし、純粋な知的好奇心を掻き立てられるかもしれない。研究者にとっても参加者にとっても、すごく価値のある「揺さぶり」の場なんじゃないでしょうか。
まとめ
私たちって、どんな仕事をしてても、何かしらの評価基準の中で生きてます。それ自体は悪いことじゃない。でも、その基準だけが全てだと思い込むのは危険だと思います。定期的に違う世界の人と話して、自分の「当たり前」を疑って、本来の好奇心を思い出す。そういう機会が、もっと社会のあちこちにあったらいいなと思います。
というわけで、今日は評価基準の内面化と、そこから自由になるヒントについて、歩きながら考えてみました。学術バー Qみたいな場所が、いろんな分野で、いろんな街にできたら、きっと面白いことになるんじゃないかと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。駅に着いたので、今日はこの辺で。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!
著者プロフィール
渡邉 寧YASUSHI WATANABE
慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡りマーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い。 経歴と研究実績はこちら。
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