YASUSHI WATANABE.COM

日本語 ENGLISH

Blog

ブログ歩きながら考える

2025.8.18

文学は「誰の」役に立つのか?AI時代に見えてきた表現の意味 – 歩きながら考える vol.107

渡邉 寧 | 京都大学博士(人間・環境学)

今日のテーマは、AIが文学でもアートでもなんでも作れる時代における人間による表現の意味について。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。

こんにちは。今日は家に向かって歩きながら、ちょっと面白い記事を読んだ話をしようと思います。

毎日新聞に載ってた平野啓一郎さんのインタビューなんですけど、『文学は何の役に立つのか?』(岩波書店)っていう新刊について語ってたんですよ。で、平野さんの答えがなかなか興味深くて。「今の世の中で正気を保つため」だって言うんです。

記事によると、インターネットで言葉が混乱してる今、文学って精神的な健康を保つ手段なんだと。

で、ここからが記事を読んでてちょっと思ったことなんですけど、「役に立つ」って言うとき、みんな読み手にとって役に立つかって話をしがちじゃないですか?本屋に行くと、文学作品が置いてあるけど、「私にとって」本を読むことは何の役に立つの?という視点。

でも「役に立つ」という話は、実は、書き手にとって役に立つっていう視点の方が大事なんじゃないかなって。今日はそんな話を、歩きながらゆるく考えてみます。

九段理江さんのAI実験がめちゃくちゃ示唆的だった

最近、AIって文章も絵も音楽も、なんでも作れるようになったじゃないですか。だからこそ、人間にとって「表現する」とはどういう意味を持つのかっていう話が重要になってきたと思うんですよね。

この観点でめっちゃ面白いと思ったのが、芥川賞作家の九段理江さんのエピソード。九段さんって2024年に『東京都同情塔』で芥川賞取ったとき、「小説の5%をAIで書いた」って言って話題になったんです。で、その後、雑誌『広告』の企画でも「95%をAIで書く」実験をやって、その時の話がすごく本質的なんですよ。九段さんが言うにはAIには「こういうものを書きたい」という欲求がない、と。欲求らしきものを模倣することは出来ても本当の欲求を持つことはないんだろう、と言っていました。

これ、めっちゃ核心突いてません?AIって確かに文章は書ける。でも「自分の内面の欲求に基づいて作品を作る」っていう、その動機はないんですよね。

特に僕が重要だと思うのは、意識的にせよ無意識的にせよ、人の「癒し」の欲求です。つまり、人間の創作って、「自分を癒したい」っていうのがベースにあるんじゃないかなって思うんです。自分が思う理想と現実のギャップが苦しいから形にしたいとか、傷ついた心を癒したいとか、そういう内側から湧き上がってくるものは人を創作に向かわせます。一方、AIにはそれが無い。

作家たちも「自分のため」に書いてたんじゃない?

平野さんの「今の世の中で正気を保つため」っていう答え、これ別の見方をすると、作家自身が「自分の正気を保つため」に書いてるとも読めるんですよね。

記事の中で平野さん、自分が好きな作家について語ってて。トーマス・マン、三島由紀夫、大江健三郎、ボードレール。一見すると耽美的な感じの作家たちなんだけど、実はめっちゃ政治とか社会にコミットしてるって言うんです。「美を通じて社会や正義を問い直せる」「現実に批判的だから、美を創造する」って。

これ、つまり理想と現実のズレに傷ついて、その傷を何とかしたくて、自分の正気を保つために書かざるを得なかったってことなんじゃないかなって。美の創造と政治へのコミットが表裏一体なのも、そういう切実さがあったからだと思うんですよ。

最近の若い子たちの音楽作りも同じで。SNSで知り合った、会ったこともない人とコラボして曲作って、できた瞬間に「なんかこれやばくね」って盛り上がる。「自分が聴きたい曲がないから作った」っていう、めっちゃ内的な動機。自分たちの心を満たしたいから作るっていう側面がありますよね。

じゃあ、表現の技術って何のために学ぶの?

こう考えていくと、表現の技術を学ぶことの意味が見えてくるんです。自分を癒す方法として、表現の技術を身につけるっていうのが、実は教育のすごく大事な部分なんじゃないかって。

もちろん人それぞれ得意不得意はありますよ。美術とか音楽とか作文とか、得意な人もいれば苦手な人もいる。でも、何かしらの方法で自分を表現して、自分を癒せるようになるっていうのは、めっちゃ大事なスキルだと思うんです。

別に一流のアーティストとか作家になる必要なんてないんですよ。日常の中で、ちょっとしたことでも表現して自分を癒せればそれでいい。最初は好きな作家の文章を写経したり、好きな音楽家の曲をコピーしたり、そういうモノマネから始めればいいんです。

僕自身、研究やってて思うんですけど、これも似たような側面があるんですよね。日本社会の息苦しさとか、みんなが顔色伺ってる感じとか、そういうモヤモヤを研究論文っていう形で表現することで、なんとか自分の中のズレと付き合ってる感じがするんです。最初は他の研究者の論文を「なめるように」読んで、書き方とか調査方法とか全部マネすることから始めました。そういう経験を経て技術を学び、自分なりの表現として研究を進めるようになった。

ネット時代だからこその、小さな共感

最後に、ネットのいい面についても触れておきたいんですけど。

今って誰でも自分の表現をネットに上げられるじゃないですか。それが何万人に届く必要なんてなくて、たった一人でも、同じような痛みとかズレを感じてる誰かに届けばいい。この小規模な共感の可能性が開かれたのって、めっちゃ大きいと思うんですよ。

で、最初の問いに戻ると、文学は役に立つのか?って話。まず書く側にとっては絶対に役に立つ。だって人間である以上、何かを表現して自分を癒す必要があるから。それが読む人の役に立つかは、まあ別の話。でも、同じような違和感を抱えた誰かには、きっと響くんじゃないかと思います。

AIには「自分のために」作品を作ることはできない。でも人間には、内面の傷を癒すために表現したいっていう切実な思いがある。これこそが、AI時代における人間の創作の意味なんじゃないでしょうか。

というわけで、今日は平野啓一郎さんの記事から始まって、創作って誰の役に立つのかを考えてみました。家に着いたので、今日はこの辺で。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!

著者プロフィール

渡邉 寧YASUSHI WATANABE

慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡りマーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い。 経歴と研究実績はこちら

プロフィール詳細

関連ブログ Related Blog

他人の欲望を欲する:AI時代の人間の創作の意味は?   – 歩きながら考える vol.45

ブログ歩きながら考える

2025.5.20

他人の欲望を欲する:AI時代の人間の創作の意味は? – 歩きながら考える vol.45

今日のテーマはAI時代における人間の創作の意味について。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題... more

AIには「来歴」がない?東アジアで進むAI実装の未来と信頼の条件 – 歩きながら考える vol.76

ブログ歩きながら考える

2025.7.2

AIには「来歴」がない?東アジアで進むAI実装の未来と信頼の条件 – 歩きながら考える vol.76

今回は、人がAIを信頼する条件について。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平... more

AI対話の心地良さと危険性:どこまで頼っていいんだろう? – 歩きながら考える vol.10

ブログ歩きながら考える

2025.3.24

AI対話の心地良さと危険性:どこまで頼っていいんだろう? – 歩きながら考える vol.10

このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚でお届けしています。散歩中のちょっとした思い... more