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ブログ歩きながら考える

2026.9.1

AIが全部教えてくれる世の中で、私の頭には何が残るのかの話 – 歩きながら考える vol.364

渡邉 寧 | 京都大学博士(人間・環境学)

今日のテーマは、AI時代に人は何を記憶するのかという話。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。

今日は「AIと学習」の話をしたいと思うんですよね。

というのも、先日、自分の論文を書いているときに、ちょっと引っかかる体験をしまして。データの下処理の段階で、これまで取ってきたデータとは少し違う特徴があることがわかったんですよ。で、このままメインの分析に進んでいいのか、その妥当性をちゃんと示さないといけなくなった。

そのときAIに相談していたら、「こういう分析を追加したらどうですか」という提案が返ってきたんです。私はその分析手法を知らなかったので、何だろうと思って調べてみたら、実際に良さそうだった。なので、その分析を実行して結果に載せる、という対応をしました。

問題は解決したんですけど、なんというか、とても高い下駄を履かされている感覚が残ったんですよね。自分の実力よりも高いところに、ひょいと立たせてもらったような感覚です。

昔だったら、こうはいかなかった

AI以前だったら、こんな展開はあり得なかったわけですよ。教科書を開いて、ウェブ検索をして、チュートリアルをまとめているサイトを読んで、「こういう場合はどうするのか」を勉強していた。そんなによく見る分析でもなかったので、「こういうときはこの手法がいい」とちゃんと説明しているコンテンツにたどり着くまで、何日かかったかわからないと思うんですよね。

それが今は、一瞬です。これって、何でも聞ける関係性の先生がそばにいるとか、優秀な研究者が集まるコミュニティの中にいるのと同じ状況じゃないですか。いや、もしかしたら、そういう恵まれた人間環境にいるよりも、答えにたどり着くスピードは速いかもしれない。人に聞いて、自分で調べてという試行錯誤がほぼゼロの世界。

で、ここで立ち止まって考えておきたいんですよ。試行錯誤の時間が減るのは、学習にとって良いことなのか

試行錯誤こそが学習だ、という考え方

「良くない」という考え方は、当然あると思うんですよね。ああかな、こうかなと行ったり来たりすること自体が記憶の定着をつくっているんだ、という考え方です。実際、教育領域の研究でも、あえて負荷のかかる学び方のほうが長期的には記憶に残りやすい、という研究があるそうです。それから、試行錯誤の寄り道で入ってくる一見関係のない情報が、あとになって効いてくることもあるじゃないですか。

ただ、これには反論ができる気がしていて。試行錯誤の時間の中身を思い出してみると、答えにたどり着く前に、全然関係ない情報を大量に読んでいる時間だったりするわけですよね。

密度がすごく低い。

だったら、短時間で必要な情報にたどり着いて、浮いた時間で同じ情報を繰り返し深めればいいんじゃないかとも思うわけです。周辺情報にしても、本当に必要なところから派生して気になったことを数珠つなぎにAIに聞いていくほうが、よっぽど濃い関連情報が頭に入ってくる可能性がある。

理屈で言えば、AI以降のほうが学習効率は高くなるはずじゃないかとやはり思います。

空いた時間で、反復は起きるのか

はずなんですけど、果たして実際にそうなるんだろうか、というのが今日の本題です。

浮いた時間で「このやり方でうまくいったから、同じやり方でもう一つ別のアウトプットを作ってみよう」「こっちにも適用してみよう」と意識的に反復すれば、たしかに定着すると思うんですよ。昔の試行錯誤よりも、よっぽど質の高い復習になる。でも実感としては、知識が定着する前に「これはまた必要になったらAIに聞けばいいや」と手放してしまう可能性の方が高いんではないだろうか。

こういう覚え方の変化は、実は検索エンジンの時代からすでに指摘されていて、人は情報の中身ではなく「どこにあるか」を覚えるようになる——グーグル・エフェクトとして知られている話ですよね。夫婦やチームの間で「あれはあの人が覚えているから大丈夫」と記憶を分担するのと同じことを、私たちは検索エンジンと、そして今はAIとやっている、ということになりそうです。

で、この分担、仕事としてはそれで良いのかもしれない。覚えることはAIに預けて、浮いた時間は別の仕事や、自分の幅を広げることに使う。一つひとつの判断は正しい。でも、その合理的な選択を積み重ねていった先で、知識が身につかないまま流れていく生き方に着地するんじゃないか、という気がしています。

インデックスだけの知識で、私は幸せか

行き着く先はたぶん、こういう知識の持ち方です。キーワードは知っている。何の話かもだいたいわかる。でも、中身を自分の言葉で細かく説明することはできない。インデックスは自分が持ち、中身はAIが持つという役割分担です。

仕事は回るかもしれません。でも、それで私は幸せなんだろうか、というのが気になるところなんですよね。わかっている感じはするのに、いざ説明しようとすると言葉が出てこない。あの感覚と有能感の関係は、以前書いた本物の有能感と偽物の有能感の話につながってくる気がしています。

そしてもう一つ。そういう知識の持ち方をする人ばかりになった社会では、何が失われるんでしょうね。まだ答えは持っていないんですけど、これはちゃんと考えておいたほうがいい問いだと思っています。

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著者プロフィール

渡邉 寧YASUSHI WATANABE

慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡りマーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い。 経歴と研究実績はこちら

プロフィール詳細

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