こんにちは。最近ジムに通っていると、若い世代の人たちが友達同士でトレーニングに来ているのをよく見かけます。声を掛け合いながら、すごく楽しそうにウェイトを上げている。あの光景を見ていて、動機づけって本人の意志の強さというより、環境や仕組みが作るものなんじゃないかということを考えたので、今日はそれを歩きながら話してみます。英語学習や日記など、「続かなかったもの」の記憶がある方(私もです)に向けた、三日坊主対策のヒントになるかもしれません。
筋トレを始める動機は、人それぞれ
まず思うのは、彼らが全員、最初から筋トレに興味があって始めたわけではないんじゃないか、ということです。
動機づけ研究に達成目標理論という理論があります。人が何かに取り組むときの目標を、他人基準か自分基準か、「得たい」のか「避けたい」のかの掛け算で4つに分類する理論なのですが、今日はそのうち2つに注目します。一つは、他人より劣って見えたくないという遂行回避。もう一つは、自分の能力そのものを伸ばしたいという熟達接近です。
筋トレの入口って、「みんなやってて体が大きい。自分だけひ弱で嫌だ」という遂行回避だった人も結構多いんじゃないかと思うんです。そして研究では、この「劣って見えたくない」という動機はいちばん脆いタイプとされています。不安と結びつきやすく、成果も出にくい。逆に、自分の成長を追いかける熟達接近は、粘り強さや楽しさにつながるとされている。
つまり理屈の上では、遂行回避で始めた人は三日坊主になりやすいかもしれない。でも筋トレには、「劣りたくない」で始めた人を「伸びたい」に運んでいく仕掛けが埋め込まれていて、仕組み次第では続くのではないか、と私は思っています。

仕掛け①:「前回の自分」と比べやすい
その仕掛けの一つ目は、自分内比較のしやすさです。
筋トレは、前回は何キロを何セット挙げた、そのときのきつさはどうだった、今回はどうか、と一回一回の練習を数字で残せます。重量、回数、体組成計の筋肉量、鏡に映る見た目。「前回の自分」との比較材料が、活動のあらゆる場所に転がっている。
他人と比べるために始めた人も、通ううちに、気づけば「前回の自分」という比較相手を手に入れてしまう。そして自分基準の進歩が見え始めると、関心の重心が「人からどう見えるか」から「自分がどう伸びているか」へ、つまり熟達接近へと自然に移っていくのではないでしょうか。
ひるがえって、私たちが挫折しがちな活動はどうでしょう。たとえば英語学習は、昨日の自分との比較がしにくいですよね。TOEICなら前回の点数と比べられますが、受験機会は数ヶ月に一度。日々の練習レベルで見えるのは「ペラペラな誰か」との距離だけになりがちです。この差が、続きやすさの差を生んでいるのかもしれません。

仕掛け②:友達のなにげない一言
仕掛けの二つ目が、友達です。彼らの会話を想像してみてください。
「あの種目、辛いよねー」「今日はなんか面倒だよね」。きつさや面倒くささを、否定せずに受け止め合う。「でも、なんかおっきくなってきたよね」「ここ鍛えたらかっこいいよね」。変化に気づき、本人が大事にしている価値観(かっこよさ)に引きつけて意味づけをする。そして「明日ジム行く?」。命令ではなく、行くかどうかの決定を相手に残した問いの形で誘う。
実はこれ、自己決定理論の中の有機的統合理論というミニ理論で言われている自律性支援、そのものだと思うんです。有機的統合理論は、外側の理由で始めた活動がだんだん「自分にとって価値のあること」になり、最終的には自分らしさの一部にまでなっていくプロセスを扱う理論で、そのプロセスを進めるには、まさに上の三点——感情の受け止め、本人の価値観に即した意味づけ、本人が決める余地を残すこと——が効くとされています。
誰も理論なんて知らないのに、教科書のような支援を自然にやり合っている。だから、仮に「ひ弱で嫌だ」で始めていたとしても、こういう友達と一緒にやっているうちに筋トレが自分の価値観と結びつき、「トレーニングする自分」がアイデンティティの一部になっていく。ちなみにこの支援が機能するのは「誘うけど強制はしない」緩さがあってこそで、休むと責められる関係だと支援は圧力に変わってしまう、という留保はつきます。

三日坊主対策として使うなら
まとめると、こういう方法論の仮説になります。続けたい活動があるなら、①一回一回の練習の質と量を数字で残せる形にし、②緩く支え合える仲間とやる。
①をもう少し具体的に言うと、「先月より成長した気がする」程度の解像度では甘くて、プロセスそのものを定量化するのが良いと思います。私のマラソン練習で言えば、月間目標220キロに対して今の進捗が何キロ、今日のペースはキロ何分何秒、という形で、一つ一つの練習の質と量が数字になる。練習のプロセスがそのままアウトプットでもある、という状態です。もちろん良い日もあれば悪い日もあるし、なかなか伸びない指標もあります。でも、ばらつきに一喜一憂せず、自分で変えられる指標に集中し、中長期での全体の変化を追う。この考え方とセットにすると、数字は自分を責める道具ではなく、「伸びたい」へ運んでくれる乗り物になります。
②は、その数字や日々の面倒くささをゆるく共有できる相手がいるとベスト、ということです。筋トレの場合はさらに、お互いにバーベルの補助に入れるという実利まである。感情の受け止めも、意味づけも、補助も相互にやり合える。あの若者たちの楽しそうな光景は、動機づけ理論の観点からは、かなり理想的な仕組みが自然発生している場面なのだと思います。
みなさんの「続いたもの」と「続かなかったもの」を思い浮かべたとき、この二つの仕掛けはあったでしょうか。よかったらコメントで教えてください。
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