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6次元モデル(異文化を理解するフレームワーク)ブログ歩きながら考える

2026.8.20

文学賞に小説が殺到している話:誰が「良い」を決めるのか – 歩きながら考える vol.356

渡邉 寧 | 京都大学博士(人間・環境学)

今日のテーマは、文学賞に小説が殺到しているという話について。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。

こんにちは。今日は移動時間を使って、朝の新聞で見かけた記事から考えたことを話してみようと思います。文学賞の応募が急増していて、でもそれが出版社にとって手放しで喜べる話ではないらしい、と。

読みながら、これは自分の周りで起きていることと同じだな、と思ったんですよね。学術論文の世界でも、いま投稿数がものすごく増えていて、査読する人が足りず、あちこちで詰まりが起きています。分野は違うけれど、構造は同じ話だなと感じました。

応募が倍増して、版元が困っている

日本経済新聞の記事によると、早川書房の「ハヤカワSFコンテスト」は、例年400点前後だった応募が今年は1012点になったそうです。突然の倍増。ほかの賞も、ミステリーもライトノベルも純文学も、軒並み3割から6割増えているとのこと。原因の一つは生成AIだと見られていて、編集者の方は、読んだ十数作のうち2、3作はAIを使ったと思われる、と話しているそうです。

問題はコストです。一次から三次までの選考を外部の識者に頼むと1作あたり数千円が相場で、応募が増え続ければ年間数百万円ずつ負担が積み上がる。雑誌が苦しい状況で、これはなかなか厳しそう。今後、新人文学賞そのものが減っていくだろう、と指摘する評論家もいるそうです。

「AIを使ったら弾く」は、線が引けない

じゃあ、AIを使って書かれたものを弾けばいいのか。まず思いつく手ですが、私はこれ、たぶん無理だと思っています。

実際に運用しようとすると、決めなければいけないことが際限なく出てくるからです。プロットをAIと相談したのは、使ったことになるのか。日本語の推敲だけ手伝わせたのは。一行も生成させていないけれど、構成をAIと何時間も詰めた場合はどうなのか。線を引こうとすると、どこにも引けない

そう考えると、書いたのが人間だろうがAIが混ざっていようが、出てきたものの質だけを見る、というほうがずっとシンプルです。そしてたぶん、そのほうが正しい。文学賞の目的は、良い作品を見つけることであって、書き方を取り締まることではないはずだから。手段を審査した結果、良い作品を落としてしまうのなら、それは本末転倒です。

質だけを見ると決めた瞬間、人手が足りない

ところが、ここで話が一周します。

「質だけで判断しよう」と決めたところで、その質を判断する人間の目に限界がある。大量の応募作を人間が読むのは、もう現実的ではない。応募する側がAIを使うのが当たり前になるなら、審査する側もAIを使わざるを得ない。これは選択というより、単なる帰結ですよね。

でも、そうすると気持ちの悪いことが起きます。選考基準を、AIが決めることになる

人間の編集者だって、選考基準を明文化しているわけではありません。それでもこの仕組みが受け入れられてきたのは、判断が正しかったからというより、誰が読んだのかが分かるからなんじゃないでしょうか。あの編集者が読んで、落とした。相手には名前があり、来歴があり、あとで問われる立場がある。だから飲める。

これがAIに置き換わると、その部分がまるごと消えます。しかも私が一番引っかかるのは、同じ数社のモデルが、全部の賞の一次選考に入るという未来です。いまの選考がかろうじて機能しているのは、選ぶ人がバラバラに間違えるからだと思うんですよね。ある編集者に嫌われた変な作品が、別の編集者には刺さる。この間違え方の独立性が、実は価値の多様性を担保する安全弁になっている。

それが同じモデルに統一されたら、一度弾かれたものは、どこに出しても弾かれる。

これは、正直に言うと、かなり気持ち悪い。

まとめ:手詰まりを、手詰まりのまま置いてみる

弾こうとすると線が引けない。使おうとすると価値基準を明け渡すことになる。どちらも取れないまま、応募だけが増え続けている。

いま起きているのは、AIが小説を書けるようになった話に見えて、実は「良さ」を誰が決めるのかが問われている話なんだと思います。この手詰まりを抜ける道について、一つ考えている案があるので、それは次回に書こうと思います。

もしこの記事を読んで「うちの分野も同じだな」とか「いや、こういう選び方があるんじゃない?」と思った方がいたら、ぜひSNSでシェアして、コメントで教えてください。いいねやフォローもいただけると励みになります。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!

著者プロフィール

渡邉 寧YASUSHI WATANABE

慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡りマーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い。 経歴と研究実績はこちら

プロフィール詳細

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