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6次元モデル(異文化を理解するフレームワーク)ブログ歩きながら考える

2026.8.19

筋トレジムの次は「知力ジム」が爆誕しそうな話 – 歩きながら考える vol.355

渡邉 寧 | 京都大学博士(人間・環境学)

今日のテーマは、AI時代に「知力を鍛えるジム」が生まれるかもしれないという話。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。

こんにちは。今日はジムからの帰り道に話しています。さっき、休憩がてら日経新聞を読んでいたら、シカゴ大学の記事が目に入りまして。ちょっと思うことがあったので、歩きながら考えてみようと思います。

シカゴ大が「AIなしで考える力」を鍛え始めた

2026年8月15日の日経新聞の記事によると、米シカゴ大の法科大学院は、9月開始の新年度から新しいAI利用指針を導入するそうです。1年次の一部の科目では教室内で電子機器の使用を禁止する一方、試験の準備や論文の校正にAIを使うのは認める。学長インタビューを読むと、これからの弁護士には「AIなしで考える能力」と「AIを使って考える能力」の両方が必要で、その2つを意図的に鍛え分ける、という設計思想のようです。あわせて、ソクラテス式の問答や、学生に論文を口頭で説明させる場も増やすのだとか。

で、この記事を読んで私の頭に浮かんだのが、たった今出てきたばかりの、筋トレのジムだったんです。

私が恥を忍んでジムに通っている理由

白状すると、私は筋肉がつきにくい虚弱体質でして、ジムでは明らかに場違いです。それでも恥を忍んで通っている理由の8割は実利。最近どうも調子が悪く、病院で「ホルモンバランスかもね」と指摘され、それを整えるには筋肉があった方が良いらしいと聞いたからです。残りの2割は、ムキムキは無理でも、ポッコリおなかくらいは目立たなくなるといいなみたいな見た目の話

ジムに通う理由って、もちろん人それぞれでしょうが、だいたいこの2つが大きいのではないでしょうか。自分の健康という実利と、他人からどう見られるかという評価

でも、考えてみると不思議です。現代の仕事のほとんどは、筋力を必要としないのに。

筋力は「いらない能力」になった。なのにジムは栄えている

重いものは機械が運び、畑はトラクターが耕します。実際、人間の筋力は落ちているようです。米国の研究では、ミレニアル世代の握力が1985年の同年齢の基準値より大幅に低下していたそうで、肉体労働の減少が主因と考えられています。もっと長いスパンでは、ケンブリッジ大学の研究で、約7000年前の農耕社会の女性の腕の骨は、現代のボート競技のトップ選手よりも強かったことが示されたと言われています。毎日何時間も手作業で穀物を挽く生活の産物だそうです。

つまり筋力は、歴史的には必要性が下がった能力と考えることもできます。それなのに、ジム産業は栄えている。なぜか。

ここで、幸福論で使われる概念を元に考えてみます。経済学者ロバート・フランクの言う「地位財」と「非地位財」です。地位財は、所得や社会的地位のように、他人との比較ではじめて価値が決まるもの。非地位財は、健康や自由や愛情のように、他人と関係なくそれ自体で価値があるもの。そして、地位財がもたらす幸福は長続きせず、非地位財がもたらす幸福は長続きすると言われています。慣れてしまうことと、他人とのさらなる比較が続くことで、地位財の価値は目減りしていくからだそうです。

この枠組みで見ると、ジムは面白い存在です。幸福の基盤となる健全な身体という非地位財と、引き締まった見た目という地位財を、同時に生産している。筋力が仕事でいらなくなっても、この2つの価値は消えなかった。それどころか、皆が日常で身体を使わなくなったからこそ鍛えた身体は希少になり、地位財としての価値はむしろ上がったようにも見えます。

認知力も、同じ道を辿る

さて、ここからが本題です。産業革命が人間の筋力を機械に置き換えたように、AIは人間の認知力を置き換えつつあります。ハラリは『ホモ・デウス』で「データ至上主義」の時代の到来を予言していて、そこでは人間の役割は考えることですらなく、データの生成に貢献することになっていく、という趣旨のことを書いていました。素の認知力がなくてもやっていける、どころか、人間に残される役割は認知ですらないかもしれない、というわけです。

だとすると、平均的な認知力は、筋力と同じ道を辿る可能性があります。でも、筋力の歴史をなぞるなら、その先の展開も見えてくる。経済的に不要になった認知力は、非地位財と地位財という2つの価値体系で再評価されるのではないか。

非地位財の側は、認知の健康です。運動が身体の健康に不可欠であり続けたように、頭に負荷をかけるトレーニングは、脳の健康やウェルビーイングの基盤として価値を持ち続ける可能性がある。

そして地位財の側。皆がAIに頼るようになるほど、AIに頼らずに考え抜ける生身の知力は希少になります。希少なものは、他人との比較の中で価値を持つ。つまり素の認知力は、実利の世界から退場する代わりに、地位財として再登場するのではないか。シカゴ大がソクラテス式問答や口頭試問を増やすのも、そういう生身の知力を発揮する場を整える動き、と読める気がします。

「知力ジム」爆誕の予感

というわけで、近い将来、「知力ジム」みたいなサービスが爆誕するんじゃないかと私は思っています。AI抜きで議論し、AI抜きで書き、AI抜きで考え抜く。そういう負荷を意図的にかけるトレーニングの場。思考のパーソナルトレーナーが付くのかもしれません。いや、読書会や哲学カフェ、ディベート講座あたりは、すでにその萌芽と言えるのかもしれませんね。

もしこの記事が面白いと思ったら、ぜひSNSでシェアして、コメントで教えてください。最後まで読んでくださり、ありがとうございます。ちょうど家に着いたので、今日はこの辺で。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!

著者プロフィール

渡邉 寧YASUSHI WATANABE

慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡りマーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い。 経歴と研究実績はこちら

プロフィール詳細

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