こんにちは。今日も移動時間を使って、最近考えていることを話そうと思います。今ちょうど、手元のデータで「仕事の意味感」の分析をしているんです。で、そんなことを考えながら日経新聞を読んでいたら、RIZAPグループが社員500人を建設職人に転向させる取り組みについての記事が目に留まりまして。これはまさに、AI時代におけるキャリアと仕事の意味感の話だなと。今日はこのテーマを、歩きながらゆるく考えてみます。
AIで業務の2割が浮いた、その先に起きていること
記事によると、RIZAPグループは生成AIの活用を進めた結果、リサーチやリポート作成などの業務が効率化され、グループ内の総労働時間の約2割が浮く計算になったそうです。そこで、その人材を新規参入した建設事業で生かすべく、社員500人を建設職人に転向させる試みを始めたとのこと。
記事には、3月まで補整下着の営業販売をしていた30代の女性社員が登場します。2月下旬に突然、建設会社への出向を命じられた。なぜ自分が選ばれたのか、上司から具体的な説明はなかったそうです。今は埼玉の施設で、天井に軽量鉄骨を取り付ける練習をしている。元の職場では顧客から「ありがとう」と言われるのが喜びで、接客に戻りたい思いも残っている。一方で、建設職人の収入の話も聞いたし、残業がないのも魅力。不安と期待がない交ぜのまま研修に取り組んでいる、という描写でした。
「AIに仕事を奪われる」という話は世の中に溢れていますが、日本ではそれが解雇ではなく、こういう社内の配置転換という形で現れるのかもしれない。そう思うと、この記事の風景は、多くの会社員にとって他人事ではない気がします。

仕事の意味感を決める2つの要素
で、私がこの記事を読んでまず考えたのは、こうした会社主導の職種転換が、本当に働く人の幸福につながるのか、という点です。
冒頭で触れた「仕事の意味感」というのは、ざっくり言えば、自分の仕事には大事な意義があって、「この仕事をやっていて良かった」と前向きに感じられている状態のことです。仕事の意味感が人生の幸福度と強く結びついていることは、メタ分析でも示されています。
そもそも私がこのテーマに興味を持っているのは、ブルシットジョブが本当に嫌いだからなんです。やっている本人ですら「これ、意味あるのか?」と思ってしまうような仕事に、人生の時間が吸い取られていくのは、本当にもったいない。働かなければならないからこそ、その仕事を意味あるものだと思えるかどうかは、人生の幸福にとって極めて大切な問題だと思っています。
それで、意味感を高める実験的なアプローチを行い、仕事の意味感の増加を生み出した要因を分析しました。人間関係の良さ、仕事と自分の能力のフィット、会社との相性、自己効力感など、関係しそうな候補をたくさん並べて競わせたのですが、結果は少し意外なものでした。色々な候補の中で、たった2つの要素が飛び抜けて大きかったんです(正確に言うと、統計的に説明できた意味感の違いの変化のうち、約半分をこの2つだけで占めていました)。
1つ目は代替「不」可能性。自分の工夫で仕事ができる、自分なりのやり方を進める余地があるといった、「自分ならでは」と感じられる感覚です。2つ目は自律性。どんな仕事を、いつ、どうやって行うかを自分で決められることです。
職場の幸福というと、心理的安全性や人間関係の話になりがちです。もちろんそれらも関係はしているのですが、少なくとも今回のデータを見る限り、圧倒的に効いているのは「自分ならでは」と「自分で決められる」の2つでした。社会が個人主義化していると考えると、この結果はまあ何となくわかります。
この観点から見ると、会社主導の配置転換は、やはり自律性からは遠いところにあります。自分のキャリアを他人に決められたわけですから、短期的には幸福度がマイナスに振れる可能性も十分にある。冒頭の女性の「なぜ自分なのか」というモヤモヤは、まさにそれを物語っているように思います。

職人仕事は「自分にしかできない」の宝庫かもしれない
ただ、ここで一つ、視点を反転させてみたいんです。
営業からブルーカラーへの転換と聞くと、なんとなく「大変そう」と思うかもしれません。でも、代替不可能性という観点から見ると、実は職人の世界って、「自分にしかできない」を最も追求できる仕事の一つなんじゃないでしょうか。
営業職には、「自分だから売れた」という感覚や、どの顧客にどうアプローチするかを自分で決める余地があります。冒頭の女性が営業を好きだったのも、そういう部分だったのかもしれません。そして職人仕事にも、いずれ「自分だから納められた」と感じられる瞬間が来る可能性は、理屈上ちゃんとあると思うわけです。
しかも、職人仕事には自律性の余地もちゃんとあります。現場の段取りを自分で組む、状況に合わせてやり方を自分で選ぶ。腕が上がるほど任される範囲は広がり、「どうやるか」を自分で決められる領域が増えていく。つまり、意味感に効く2つの要素は、どちらもこの世界で育ち得ると思うんです。
そう考えると、彼女が失った「ありがとう」の喜びも、別の形で取り戻せるかもしれない。むしろ、リサーチやリポート作成といったAIに置き換えられていく仕事のほうが、よほど代替可能だった、という見方すらできてしまいます。

「金太郎飴」の先に本当の幸福がある
とはいえ、話はそう単純ではありません。
RIZAPは未経験者育成のノウハウを生かして、通常10年かかるところを2~3年で多能工に育てる計画だそうです。これはつまり、標準化・マニュアル化の力です。誰がやっても同じようにできるようにする。いわば「金太郎飴」を作る発想ですね。
で、金太郎飴って、代替不可能性の対極じゃないですか。「誰でもできる」を目指すことと、「自分にしかできない」を育てることは、方向として逆を向いている。
それでも私は、一定のところまでは金太郎飴であることも必要なんだと思います。なるべく早く、確実に、実務で役に立つスキルを身につけさせてもらう。この超効率的な習得フェーズがあるからこそ、その土台の上に自分なりの工夫を積み上げていける。本当の幸福感は、金太郎飴の先にあるはずなんです。
大事なのは、本人も会社も「金太郎飴フェーズは通過点であって、終着点ではない」という認識を共有しておくこと。この共有があれば、入口の他律的な決定にも、中長期的な納得感が生まれてくるのではないかと思います。
というわけで、今日はAI時代のキャリアと仕事の意味感について、歩きながら考えてみました。これから同じような職種転換の話は、あちこちで出てくると思います。それが働く人にとって本当に良い方向につながっていくことを願っています。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!