実は先日、投稿していた論文が採択されました。AI依存についての論文です。嬉しい出来事です。次の研究のデータの仕込みも進んでいて、仕事のプロジェクトも問題なく回っています。何も問題がない。……はずなのですが、なんだか気力が湧いてこないんですよね。成果は出ているのに、疲れている。
この妙な状態の正体を考えていったら、「AIの使い方を間違えると疲れる」のではなく、むしろ、AIを正しく使うほど疲れるのではないか、という少し嫌な仮説にたどり着いてしまいました。今日はその話を、歩きながら考えてみます。
最初のうちは、たしかに幸福度が上がった
AIが出てきてしばらくは、様子見の期間がありましたよね。使ってはみるけど、仕事の中心には置かない、みたいな。
でも、そこを越えると、はっきり良い時期が来ます。
何が良いかというと、やらなくていい作業が減るんですよね。デヴィッド・グレーバーが「ブルシット・ジョブ」と呼んだような、それ自体には意味を感じにくい作業。書式を整えたり、定型の文章を用意したり、資料の体裁を揃えたり。ああいうものをAIに預けられるようになると、少ない労力で大きなアウトプットが出せる。
しかも、自分が作りたかったものが、AIの力を借りて実際に形になる。それが人に評価される。これは有能感が上がります。
自律性も、この段階では落ちません。何を作るかを決めているのは自分だからです。関係性も悪くならない。むしろ、メールの返信が楽になったり、言いにくいことを角が立たない書き方に直してもらえたりするので、人間関係はかえって良くなる面すらある。
つまり、自己決定理論でいう自律性・有能感・関係性が、三つとも上がる。だから幸福度が上がるのは、理屈の上でも自然なことだと思います。

ところが、最近ちょっと疲れている
で、私はいま、その先のステップに来たのだと思います。
AIで仕事が速くなったので、次の仕事、その次の仕事へと進めてしまう。ひとつ終わって余裕が生まれるのではなく、空いた時間に新しい仕事が入ってくる。AIを使うと仕事が減るのではなく、自分が処理できる仕事の量が増えるわけです。
モデルやツールの進化を追いかけ続ける負荷もありますし、AIが生成する分だけ「これで進めますか?」「どの案を採りますか?」という判断をAIから求められる、という問題もあります。ただ、冒頭の「気力が湧かない」の説明としては、仕事量や判断の負荷だけでは、どうも足りない気がするんです。忙しくて疲れているというより、もう少し深いところが削れている感じがある。
上がった三つが、そのまま下がる
つまり、こういうことです。
さっき、AIによって自律性・有能感・関係性が上がったという話をしました。この三つが、上がったのと同じ理由で下がっていくんじゃないかと思っているんです。
まず自律性。AIに命令されているわけではありません。でも、もっとアウトプットを出そうとするうちに、AIに任せる領域がどんどん広がっていく。そしてある日、「これ、自分は主体的に仕事をしているんだろうか。ほとんどAIがやってるじゃないか」と感じる瞬間が来る。
有能感も同じです。冒頭の話に戻ると、論文が通って、仕込みも進んで、プロジェクトも回っている。アウトプットだけ見れば、明らかにうまくいっている。でも、その裏で「自分はAIに頼っているだけで、AIが無くなったらアウトプット出ないんじゃないか?」という感覚が濃くのかもしれません。そうだとすると、成果は出ているのに有能感を感じないし他性感も湧かないという、あの妙な状態の説明がつく気がするんです。疲れを回収してくれるはずの満足感が、どこかで抜け落ちている。
そして関係性。これが一番厄介かもしれません。
職場にAIが同僚のように入ってくると、任せるのは仕事だけじゃなくなります。「最近ちょっと疲れてるんだよね」という相談も、AIにするようになる。人間に言えば「今忙しいので後で」と返ってくるかもしれないし、期待した共感が返ってこないこともある。でもAIは、いつでも、100%共感してくれます。
そうやってAIに相談するほど、人と話す機会は減っていく。AIを使って疲れ、その疲れをAIに癒やしてもらうことで、さらにAIとの関係が深まる一方で人間との関係は薄れる。そういう循環は、十分あり得ると思うんです。

降りられないレースなのかもしれない
じゃあ、AIを使いすぎないようにすればいいのか。増えた分を仕事で埋めずに、余白として残せばいいのか。
たぶん、そういう話ではないんですよね。
そもそも、仕事の評価基準はもともとアウトプットです。「うちはAIをほどほどにしましょう」と自分が決めたところで、競合はそうしません。海外の企業を見ていると、AIを最大限に使って生産性とスピードを上げにいく動きははっきりしていて、そこに手加減はなさそうに見えます。自分が降りても、レースは止まらない。
進化生物学に「赤の女王仮説」という考え方があります。『鏡の国のアリス』で赤の女王が言う、「同じ場所にとどまるためには、全力で走り続けなければならない」というあれです。捕食者が速くなれば、被食者も速くなる。どちらも必死に進化しているのに、両者の関係は変わらない。
いまのAI活用は、これにかなり近い気がしています。
みんながAIで生産性を上げる。すると、その水準が新しい当たり前になる。競争上の優位は消えるのに、上がった負荷だけが残るわけです。個々の企業にとっては合理的な選択なのに、全体としては誰も得をしていない、ということが起こり得る。
そうだとすると、幸福度が下がるのは、AIの使い方を間違えた結果ではありません。正しく使った結果として、そうなる。
じゃあ、どうすればいいのか。正直に言うと、私にも答えがありません。いま言えるのは、せいぜいこのくらいです。メカニズムに基づく将来予測。
もしこの下り坂が本当に来るのなら、来てから気づくのでは遅い。AIとの付き合い方が、自律性や有能感や関係性をどう変えていくのか。それをいまのうちに研究として残し、対策を考えていきたい、と思っています。
もしこの記事を読んで「うちも同じだな」とか「いや、私はまだ楽しい時期です」みたいに思った方がいたら、ぜひスキやフォロー、コメントで教えてください。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!