こんにちは。前回、AI時代にあえてメンバーシップ型を考えてみる、という話をしました。仕事の定義がどんどん変わる時代だからこそ、仕事ではなく人を先に選び、会社と個人がお互いに長期的な投資をする。そういう方向性もあるのではないか、という話でした。
で、その後も考えていたんです。人を先に選んだとして、では、その人たちの集まりをどうやって強い組織にしていくのか?と。考えているうちに思い出したのが、昭和の時代のあるビジネス書でした。今日はそこから、歩きながらゆるく考えてみます。
「ほうれんそう」は新人の心得ではなかった
みなさん、「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」って知ってますよね。新入社員研修で「上司にこまめに報連相!」と叩き込まれる、あれです。
でも、実はあれ、本来は新人の心得ではないんです。
ほうれんそう運動は、昭和57年に山種証券の社長だった山崎富治さんが始めた運動です。社員が千人を超える規模になり、社長である自分の耳に社員の声が入りにくくなってきたことを憂慮した山崎さんは、「上下の報告がキビキビと行われないものか、左右の連絡がスムーズに取れないものか、上下、左右にこだわらない腹を割った相談がなされないものか」と考えて、この運動を始めました。
ポイントは「上下、左右にこだわらない」というところです。つまり、部下から上司への報告だけではなく、上司から部下へのほうれんそうもある。横同士でもある。組織のあらゆるところでコミュニケーションを活発にして、情報が自然に流れる状態をつくる。新人管理のルールではなく、組織全体の風通しをよくするための運動だったわけです。
山崎さんの著書『ほうれんそうが会社を強くする』には、「ほうれんそうは酸性(賛成)の土壌には育たない」という名言もあります。和気あいあいに見えて実はイエスマンばかりの組織ではダメだ、と。この辺りの話は、以前詳しく書いたことがあるので、興味のある方はそちらもどうぞ。

会社が家族まで巻き込んだ「カミュニケーション」
で、この本には、今読むとさらに驚く言葉が出てきます。「カミュニケーション」です。
「かみさん」、つまり奥さんへのコミュニケーションという意味です。山崎さんは、上の人間は時々部下の家を訪問して奥さんに会うことが必要だと述べ、「社員の奥さん=かみさんを知るカミュニケーションは欠かせない」と言うんですね。
昭和ですから、夫が会社で働き、妻が家庭を支えるという家族像が前提です。上司が社員の家庭を訪問し、会社の方針や本人に期待していることを説明する。ここまでいくと、会社と社員、さらにはその家族までが一心同体です。「この船を大きくして、乗っているみんなで豊かになろう」という、家族をも巻き込んだ非常に濃いメンバーシップが、昭和の時代には真剣に考えられていた。
もちろん、これをそのまま現代に復活させることはできません。上司が家庭を訪問したり、会社が私生活にまで立ち入ったりすれば、今の時代にはかなり息苦しいでしょう。昔の村社会的な、共同体から抜けにくい関係まで復活させたいわけでもありません。
でも、この「仕事だけではない、厚みのある人間関係」の中に、人を先に選んだ組織を強くするヒントがある気がするんです。

会社が生活に投資するという発想は、死んでいない
というのも、会社が社員の生活環境に投資するという発想自体は、実は昭和の遺物ではないからです。
例えば、米国のテック企業がキャンパスにジムや食堂を揃えて人材を惹きつけてきたのは有名な話です。彼らがメンバーシップ型だという話ではありませんが、人材獲得競争の最前線で、給料以外の生活環境への投資に合理性があると判断されてきたことは、参考になります。
日本でも動きがあります。伊藤忠商事は、首都圏に分散していた独身寮を統合して、「ひとつ屋根の下」をコンセプトにした社員寮を日吉につくっています。シェアキッチン付きの食堂やサウナ付き大浴場、各階の談話スペースを備え、タテ(部署)やヨコ(同期)だけでない「ナナメの関係」を築くことが寮の目的なんだそうです。週末に釣りに行った社員がシェアキッチンで魚をふるまうこともあるとのことで、単なる福利厚生ではなく、組織力への投資として生活環境をつくるという発想が見て取れます。
上下左右のほうれんそうに、ナナメの関係。つまり、問題は「会社が生活に関わること」自体ではないんです。関わり方の設計なんだと思うのです。

出入り自由なのに、いたくなる共同体
そこで考えられるのが、個人主義を前提としたメンバーシップ型です。
個人の自由やプライバシーは尊重する。でも、関わりたい人には、会社を通じて濃い人間関係や豊かな生活環境が開かれている。
例えば、職住接近を基本にして、社員が会社の近くに住めるようにする。会社の近くにはジムやサウナ、食堂、保育所がある。会社帰りにみんなでジムへ行ってもいいし、一人で体を鍛えてから帰ってもいい。気が合う人がいれば休日に遊びに行く選択肢も自然にあるけれど、一人でいたい人は自由に過ごせばいい。
大事なのは、これを社員を会社に縛りつけるためのものにしないことです。参加は自由で、参加しないことで不利益を受けない。会社の近くに住むことも、会社の人と休日を過ごすことも、忠誠心を測るテストにはしない。家族を会社共同体の一員として扱わないし、会社は私生活に立ち入らない。
「村から出られない共同体」ではなく、「出入り自由なのに、なぜかここにいたくなる共同体」ということなのだと思います。
前回の話とつなげると、こうなります。AIでどの仕事が残るか分からなくなるからこそ、会社は仕事ではなく人を選ぶ。そして選んだ人との長期的な関係を支えるために、給料だけでなく、健康や幸福、生活環境にも投資する。社員を縛るのではなく、それでも一緒にいたいと思える。そんな現代版のメンバーシップ型が、AI時代には意外と強い組織になるのではないでしょうか。
というわけで、今日は「ほうれんそう」の本当の意味から、これからの会社共同体まで、歩きながら考えてみました。昭和のビジネス書、侮れないですよね。みなさんの会社には「いたくなる」理由、ありますか?
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