こんにちは。今日は打ち合わせの帰り道を使って、最近の仕事道具の話をしようと思います。提案書を作るのにClaude Designという機能を使ってるんですけど、便利さと同時に「これ、ちょっと根が深い問題だぞ」と思うことがあって。歩きながら、ゆるく考えてみます。
スライドの配置は、実は「主張」だった
Claude Designは、Anthropicが2026年4月に公開したデザイン制作の機能です。チャットで「提案書を作って」と話しかけると、スライドやランディングページが出てくる。私も少し前から提案書づくりでよく使っているんですが、自分で作った資料がデザイン的にもう一段階洗練された形になる。これは素直にすごい。
ただ、使っていて引っかかることがあって。AIがデザイン性を優先して、勝手にスライドの配置を変えてしまうことがあるんです。で、配置が変わると、伝えたい情報の構造そのものが変わってしまう。左に置くか右に置くか、上下に並べるか横並びにするかって、見た目の問題じゃなくて「何が原因で何が結果か」「何が主で何が従か」という主張なんですよ。
面白いのは、これってAIが来るまで、切り分ける必要がなかったということです。デザインと情報構造は、資料を作る人間の頭の中で一体になっていた。Claude Designは片方(見た目)だけできて、もう片方(構造)ができない。だから、両者が別物だということを、初めて可視化してしまった。

分かっているのに、鍛える気になれない
じゃあどうすればいいか。答えは分かっていて、テンプレートや過去の事例を読ませて、こちらの「情報構造に関する考え方」を理解させればいい。AIって、柔軟性のあるルールを扱うのは結構得意ですよね。
なのに、不思議なことに、そこにリソースを投下する気になれない。時間がないというのもあるんですが、歩きながら考えていて、もっと本質的な理由に気づきました。
AIが、あまりにも早く変わっていくからなんですよ。
人の育成にリソースを投下するとき、私たちは暗黙のうちに「この人とは数年、下手したら数十年一緒に働くかもしれない」という前提を置いています。だから教育投資が成り立つ。でもAIは、モデルが数ヶ月単位で入れ替わる。せっかくプロンプトやコンテクストを作り込んでも、次のモデルが来た瞬間に投下したものが意味をなさなくなるかもしれない。
「このAIを鍛えればいい」と分かっているのに躊躇してしまうのは、怠慢ではなくて、投資対象が動き続けていることへの、わりと合理的な反応なんじゃないかと思うんです。
育てるべきはAIではなく、「自分の言語化」のほう
ここで発想を切り替えるべきなのかな、と思いました。
特定のAIを鍛えるのではなく、どんなAIが来ても、すぐに「自分」を分かってもらえる状態を作っておく。自分の思考、考え方、やってほしいこと、強み弱み。そういうものを絶えず言語化して、外部化しておく。モデルが変わっても、言語化された自分は持ち運べる。投資が蒸発しない唯一の場所は、AI側ではなくこちら側にある、ということです。
実際、ルールとして書ける部分の外部化は、もう始まっています。デザインの世界だとDESIGN.mdという、ブランドカラーやUIの判断基準を判断の根拠まで含めて人間にもAIにも読めるテキストで書いておく形式が広がりつつあるようですね。
ただ、ここからが本題で。ルールベースで書けるものは、正直、外部化の入口にすぎないと思うんですよね。本当に難しくて価値があるのは、ルールの形にしにくい部分。冒頭のスライドの話で言えば、「この二つの情報を、なぜ横並びではなく上下に置くのか」という判断です。聞かれれば説明できることもあるけど、なかなか説明しにくいものも多い。状況で答えが変わるし、そもそも自分がどんな基準で判断しているのか、自分でもよく分かっていなかったりする。いわゆる暗黙知です。これをどうAIが分かる形式にパッケージしていくかが、これからの勝負どころになる気がします。

AIを徒弟制の弟子を考える
で、ここで一つ、私の話をします。
実は、私がこの「歩きながら考える」を平日毎日書いているのも、それが理由なんですね。何かのテーマについて、私がどこに引っかかり、どう考えを転がし、どこで立場を変えるか。ルールとしては書けない判断のプロセスそのものが、毎日蓄積されていく。
この情報伝達の仕組みって、職人の世界の徒弟制度に似ていると思うんです。職人の技はマニュアルでは習得できなくて、弟子が師匠と長い時間を過ごし、やり方を見て、自分でも真似て、結果を師匠のものと見比べて「やっぱりちょっと違うな」という経験を毎日何度も積み重ねて、初めて伝わる。暗黙知を渡すには、要するに一緒に過ごした時間の量が必要なんです。
だとすると、AIに私の暗黙知を渡すときも同じはずで。「私はこういう人間です」と要約した一枚の文書は、マニュアルを渡すのと同じ。そうではなくて、日々考えた痕跡——今日でだいたい300日分になりました——をまるごと読ませる。これは、AIが私と300日一緒に過ごしたようなものだと思うんですよね。将来、自分のデジタルツインを作るなら、私はこの連載を読ませるつもりです。自分と過ごす数年間を、300日分のテキストに圧縮して渡す。デジタルツインを高い精度で作るには、そういう徒弟制度的な発想が必要な気がしています。
みなさんなら、自分のデジタルツインに何を読ませますか?最後まで読んでくださり、ありがとうございます。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!