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今日のテーマは、AIと「かけがえのない関係」は築けるのか、について。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。
こんにちは。今日は歩きながら、まだ自分の中でも答えの出ていない話をしてみようと思います。
最近、孤独や心の健康といった社会的な課題に対して、AIをカウンセラーや話し相手、ときには友人のような存在として役立てられないか、という流れがありますよね。いつでも応じてくれて、否定もしてこないAIは、確かに頼れる相手に見える。でも、そこでひとつ立ち止まりたいんです。そもそも私たちは、AIとかけがえのない関係性——「関係」と呼べるもの——を結べるんだろうか。もしそれが難しいのだとしたら、カウンセラーや友人という位置づけ自体が、どこかで空回りしてしまうかもしれない。今日はそのあたりを、ゆるく考えてみます。
AIは「先生」や「親」?——でも、ひとつ引っかかる
去年、ちょっとした調査をしたんです。職場にAIが導入されたとして、人はそれを何として見ているのか。上司なのか、同僚なのか、部下なのか、単なる道具なのか、あるいは親や友達のようなものなのか。いろいろな選択肢を用意して聞いてみました。
そもそも人は、相手が機械だと分かっていても、ちょっとした社会的なやりとりがあるだけで、人間相手と同じように反応してしまうところがあります。これは古くからコンピューターを「社会的な存在」として扱ってしまう現象(CASA)として知られています。AIはいろんなことを教えてくれるから、なおさら「先生」や「親」みたいなイメージにつながるのかもしれません。実際、調査でも「親」や「先生」といった回答がひとつのまとまりを作っていました。
でも、このデータを見ても、私自身はどこかピンとこないところがあって。何が引っかかるかというと、敬意なんです。みなさんは、AIに敬意を感じますか。私は、正直あまり感じないんですよね。ものすごく賢いし、何でも知っているし、知的なすごさは間違いなくある。だけど、だからといって敬意が湧くかというと、そうでもない。同じくらいの知識を持った生身の人間になら絶対に敬意を感じるのに、相手がAIになった途端、その感覚がスッと消えてしまう。差は「賢さの量」ではない。だとしたら、一体何が違うんだろう。

リスクがない、という心地よさ
考えていくと、すぐに思いつくのが、AIとの関係には「リスク」がないということです。馬鹿な質問をして恥をかくこともないし、無知をさらけ出して怒られることもない。関係の中で嫌な思いをすることが、ほとんどないように設計されている。
おもしろいことに、これは数字にもうっすら出ていました。同じ調査の中で、人間への信頼とAIへの信頼を分けて聞いてみたんです(社会心理学でいう一般的信頼にあたるもの)。すると、人間への信頼は人によってばらつきが大きいのに対して、AIへの信頼はばらつきが狭く、「信頼する」の側に寄っていた。これ、理由はわからないのですが、一つの可能性として、AIとの間に「過去の嫌な経験」が積み重なっていないからなのかな、と思いました。AIから嫌なことをされた経験がないから「ほとんどのAIは信頼できる」みたいな項目を聞かれると「当てはまる」と答えがちになる。
ただ、この一般的信頼のスコアが高く出たからといって、AIが人より深く信頼されている、とは言い切れない気がするんです。確かに、AIには「裏切られないだろう」という予期は強くあると思いますが、敬意を感じない信頼って、なんかチープな信頼なんじゃないかと感じてしまう。リスクがないからこそ信頼は安く手に入り、リスクがないからこそ敬意はそもそも湧いてこない。同じ条件が、一方を膨らませ、もう一方を空っぽにしている。
恥をかくかもしれない、嫌われるかもしれない——その怖さをくぐり抜けた先にしか生まれないものが、信頼にも敬意にもあるんだと思います。AIへの信頼は数字の上では高く出るけれど、それは怖さの裏打ちがない、いわば重さのない信頼なのかもしれません。

関係性とは「やり直せない」ことだったのかもしれない
リスクのなさには、もうひとつ別の顔があります。やり直せる、ということです。
AI相手なら、「この会話、気に食わないな」と思ったら、少し前に戻って違う聞き方をして、別の流れを作り直せる。チャットからまるごと離脱して、別のモデルに乗り換えることだってできる。こちらが投資しなければならないものが、常に最小限で済むようになっている。
ここで、ペットや植物のことを考えてみます。犬や猫を迎えれば初期のしつけひとつでその後の関係が変わるし、植物は水やりを忘れれば枯れてしまう。取り返しがつかないんですよね。前の分岐に戻ってやり直す、なんてことはできない。一方、今のAIとの関係は、ゲーム機の電源を切ってもう一度やり直すような感覚に近い。いつでもリセットできて、後戻り不能な変化を何ひとつ残さないものを、私たちは「関係」と呼べるんでしょうか。
そう考えると、ちょっとした逆説に行き着きます。AIを道具として魅力的にしている性質——低リスクで、いつでもやり直せること——が、そのままAIを「関係の相手」として失格にしている。便利さと、かけがえのなさが、同じコインの裏表になっている。もっとも、これは今のAIの話です。エージェント化し、フィジカルAIとして暮らしに溶け込んでくれば、取り消しのきかない一回性を帯びた存在に近づいていく可能性はある。そうなれば、話はまた変わってくるのかもしれません。

まとめ:かけがえのなさは「賭ける」もの?
ここまで考えて、私は問いの向きを裏返してみたくなりました。問題は「AIが関係の相手になれるか」ではなくて、「私たちが、やり直せない・取り消せないという賭けを、AIに対して引き受けられるか」なんじゃないか。敬意も、重さのある信頼も、相手の賢さから自動的に与えられるものではなくて、こちらが安全装置を手放して、傷つきうる立場に身を置いたときに、はじめて立ち上がるもの——なのかもしれません。
そう考えると、冒頭の話に戻ってきます。AIはカウンセラーになれるのか。友人や、上司になれるのか。どれも結局、「いつでもやり直せて、嫌な思いをしない安全な相手」のままで、その役割が本当に務まるのか、という同じ問いの変奏のような気がするんですよね。可逆性という安全装置を持ったまま、親しみだけを受け取れる関係は、人間関係から私たちの何を奪い、あるいは何から守ってくれるのか。
まだ答えは出ていません。でも、これから大事になってくる問いだと思うので、もう少し歩きながら考えてみたいと思います。
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著者プロフィール
渡邉 寧YASUSHI WATANABE
慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡りマーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い。 経歴と研究実績はこちら。
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