YASUSHI WATANABE.COM

日本語 ENGLISH

Blog

6次元モデル(異文化を理解するフレームワーク)ブログ個人主義(IDV)歩きながら考える

2026.6.11

森保ジャパンの個人主義と集団主義 – 歩きながら考える vol.307

渡邉 寧 | 京都大学博士(人間・環境学)

今日のテーマも、サッカー日本代表・森保一監督のマネジメントから考える組織文化について。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。

こんにちは。今日も歩きながら、もうすぐ始まるワールドカップを入り口に、組織文化について考えてみます。前回は、森保一監督のチームには権力格差の高い価値観と低い価値観が同時にあって、その綱引きこそが強さの源なんじゃないか、という話をしました。今日はそこから、ホフステードのもう一つの次元──個人主義と集団主義を主役に、同じチームをのぞいてみたいと思います。

海を渡った選手たちは、個人主義の世界で戦っている

まず思うのは、日本のサッカーは本当に強くなったな、ということです。優勝を目標に掲げても、まったくの絵空事には聞こえないくらいになった。その変化の中心にあるのが、海外のトップリーグで活躍する日本人選手が一気に増えたことだと思いますよね。

この現象を、個人主義・集団主義というものさしで見ると、これはやっぱり個人主義傾向に傾いているという話だと思うんです。ヨーロッパのトップリーグというのは、個人のプロフェッショナリズムが極限まで高く評価される世界ですね。まず非常に流動性が高い。チームに対する愛着や忠誠みたいなものもあるとは思いますが、やっぱり個人として活躍してステップアップしていくのが当たり前。多くの優秀な若いプレイヤーが、その厳しい環境に、個人として活躍することを目指して海を渡っていく。

そういう国のリーグで日々戦っているということは、彼らは個人主義的な価値観に深く適応している、ということでもあるのだろうと思います。自分の能力を一人で磨き上げ、競争を勝ち抜く。その為に個として強くある必要がある。日本代表は、こうした個人主義の世界を生き抜いてきた選手の集まりなんだろうなと思います。これが、今日の話の一方の極です。

一方の監督は、「自己が消える」という感覚を生きている

ところが、その選手たちを率いる森保監督のほうを見ると、まるで逆向きのベクトルが見えてきます。

サッカージャーナリストの木崎伸也さんの『逆転監督 森保一』(文藝春秋)を読むと、森保監督は試合前に国歌を聞くたびに、豊かな社会で育ち、好きな仕事に打ち込めることへの感謝が湧き上がってくる、と語っています。そして、こんな印象的な言葉もありました。「大きな目標に組織を向かわせようとすると、リーダー自身の自己はどこかに飛んでいく。最終的に、リーダーの自己はなくなる」と。

私の専門である文化心理学の言葉を借りると、これは東アジアにおいて主流の自己に対する見方である、「相互協調的自己観」の話に見えます。相互協調は欧米で主流の相互独立とは異なり、自分と他者との間の境界線はあいまいに認識しているとされます。

監督にとって「日本のために」は、選び取った方針ではなく、ひとりでに湧いてくる感覚なんだと思います。自分という個と、周りの他者や集団や国といった自分の外部の存在との境界線があいまい。これが、もう一方の極です。

監督は、その問いを選手にまっすぐ投げる

面白いのは、森保監督が、この自分の極を選手にもはっきり差し向けることです。

監督は選手に、お前のその行動はチームのためになるのか、日本サッカー界のためになるのか、ひいては日本社会のためになるのか、と問いかけるそうです。個人主義の世界でプロとして活躍している選手たちに、自己が自己として閉じない世界観の話を、正面から突きつける。本のなかでも、「個人の価値を上げたいだけなら、それはクラブでやってほしい」という趣旨のことを語っています。代表でやる以上、個の評価の先にあるものを見ろ、と。

つまりこのチームの中では、個人として屹立する力と、自己と集団との間に境界線を引かないようにする力が、どちらも薄められることなく、くっきりと同居している。普通なら、どちらかが勝って一本化しそうなものです。集団主義で染め上げれば個は埋没するし、個を放任すればチームはバラける。でも森保監督は、そのどちらにも振り切らない。両極を、両極のまま、テーブルの上にはっきりと置いている。

落としどころを、あえて決めない

もしかすると森保監督自身も、きれいに調和させようとはしていないんじゃないか、という気がしますね。

個人主義と集団主義を足して二で割って、ほどよい中間に着地させる──そういう発想ではない。むしろ、相反する二つの極をどちらも強いまま、明確にぶつかり合わせたまま保っている。前回、権力格差のところで見た光景と、どこか似ています。弦は、両端をぴんと張るからこそ、いい音で鳴る。緩めて真ん中に寄せたら、音にならない。森保監督がやっているのは、その張りをゆるめずに抱え続けることなのかもしれません。

ホフステードのスコアで見ると、日本の個人主義の次元は中間あたり(=46)に位置します。これは「バランス型」としての中間得点として読むこともできるかもしれません。でも森保ジャパンを見ていると、それは力の抜けた中間ではなく、強い個人主義と強い集団主義が引っ張り合った末の、緊張をはらんだ均衡なのかもしれない、と思えてきます。同じ「真ん中」でも、緩んだ弦と、張りつめた弦くらいの違いがある。

というわけで、今日はワールドカップを入り口に、個人主義と集団主義のあいだで考えてみました。

この記事が少しでも面白い・役に立ったと思ったら、ぜひいいねやフォローをしてくれると励みになります。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!

著者プロフィール

渡邉 寧YASUSHI WATANABE

慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡りマーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い。 経歴と研究実績はこちら

プロフィール詳細

関連ブログ Related Blog

30年変わらない日中米の工場摩擦、たどると田んぼに行き着く – 歩きながら考える vol.277

6次元モデル(異文化を理解するフレームワーク)ブログ個人主義(IDV)権力格差(PDI)歩きながら考える

2026.4.24

30年変わらない日中米の工場摩擦、たどると田んぼに行き着く – 歩きながら考える vol.277

今日のテーマは、30年以上離れた2本の映画を続けて観て驚いた話。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくす... more

M-1優勝「たくろう」のビバリーヒルズネタから考える、「みんなで笑える」ことの価値 – 歩きながら考える vol.194

6次元モデル(異文化を理解するフレームワーク)ブログ個人主義(IDV)女性性・男性性(MAS)歩きながら考える

2025.12.23

M-1優勝「たくろう」のビバリーヒルズネタから考える、「みんなで笑える」ことの価値 – 歩きながら考える vol.194

今日のテーマは、先日のM-1で優勝したたくろうのビバリーヒルズネタをなぜ面白いと思ったのか、ということについて。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとした... more

「へりくだる」ことは美徳か? – 歩きながら考える vol.34

6次元モデル(異文化を理解するフレームワーク)ブログ個人主義(IDV)女性性・男性性(MAS)権力格差(PDI)歩きながら考える短期・長期志向(LTO)

2025.5.1

「へりくだる」ことは美徳か? – 歩きながら考える vol.34

今日のテーマは「へりくだる」ことの文化差に関して。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題を平日... more