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今日のテーマは、「人助けを”仕事”にすると、市民の幸福度は上がるのか?」という話。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。
こんにちは。今日はお昼に河原町通りのあたりをぶらぶらしながら、ちょっと考えたことを話してみようと思います。目の前で起きた小さな出来事から、この前考えていたことを思い出したんですよね。
河原町で見かけた、ちょっと誇らしげな警備員さん
いま歩いていたら、目の前で警備員のお兄さんが、外国人旅行者の女性に英語で話しかけられていたんです。「ここに行くにはどうすればいいですか?」って。彼、たぶんそんなに英語は得意じゃない。でも制服を着ているから、声をかけられたんでしょうね。それで「わからない」とは言わずに、スマホを使って一生懸命、道を伝えていた。最後に「サンキュー、よくわかったわ」と言われて、そのお兄さん、なんだかちょっと誇らしげな笑顔で仕事に戻っていったんですよ。
それを見て、私は「あ、今この人の幸福度、上がったな」と思ったんですよね。人の役に立って「ありがとう」と言われる。たったそれだけのことなんですけど、こういう瞬間って、確かに幸せなんですよ。で、この光景を見て、この前お友達のなべさんと話していたことを思い出しました。

なぜ「仕事を作る」なのか
私はこの2年ほど市民の幸福度を扱う仕事に関わっているんですが、「どうすれば幸福度が上がるか」って、まあ、なかなか難しい話ですね。どうすれば良いかはケースバイケース。
例えば、すごく幸福度が低い人の場合は、経済的な困窮や家庭の事情、体の事情など、理由がいくつも絡み合っている可能性がある。ここはもう、幸福度の話を考える前に、福祉やセーフティネットで支える話なのかもしれないですね。一方で、「まあ、そこそこです」という真ん中の層をどう上げるかというのは全く違う考え方かもしれない。
で、「市民の幸福度を上げるには?」と聞かれると、たいてい最初に出てくるのは「こういうサービスを提供したらどうか」「ここを補助したらどうか」という発想だったりします。これはこれで悪くない。ただ、よく見るとこれって全部、こちらから相手に何かを”提供する”矢印なんです。なべさんとこの間話しててそうだなと思ったのは、その逆――相手に何かを”してもらう”矢印の方が、実は幸福度には効くんじゃないか、ということ。
なぜ逆向きの方が効くのか。
ここで、さっきの警備員さんが思い出されます。彼の幸福度が上がったのは、誰かに何かを”してもらった”からじゃなくて、自分が人の役に立って「ありがとう」と言われたからですよね。サービスを提供されて受け取る側にいると、たしかに便利で助かる。でも、「自分にもできた」という自己効力感や、「自分は誰かの役に立っている」という自己有用感は、むしろ”してあげる側”に回ったときにこそ立ち上がる。つまり、幸福度のおいしいところは、提供される側ではなく、提供する側にあるんではなかろうか。
とはいえ、「じゃあ地域のために何かやってください」といきなり言われても、ハードルが高すぎる。そこで、それを仕事にして、何らかの対価を払う構造にしてしまう。「人助け」って言うと無償のボランティアを想像しがちですけど、「それが仕事なんだ」となれば、気が向いた人だけじゃなく、もっと多くの人が関われる。そしてお金をもらってやったとしても、警備員さんのように「ありがとう」の嬉しさはちゃんと残る。だから幸福度は上がるはずだ、と。
でも、お金をもらった瞬間に台無しにならないか?
ただ、こういう話をすると、「いやいや、それはむしろ危ないんじゃないか」という反論ももちろんあると思います。
だって、お金をつけた瞬間、人助けがただの”義務”に変わってしまうかもしれない。「ありがとう」が”仕事だから当然“になって、あの嬉しさが薄れる。感謝されて当たり前の場で、笑顔を演じさせられて、かえって消耗する、ということだってありそうです。しかも安く使われる労働になってしまえば、幸福になるどころか、ただの負担。
そう考えると、人助けを仕事にするのは、むしろ逆効果なんじゃないか、とも思えてくるわけです。

分かれ目は「出入り自由」かどうか
で、この「幸福度が上がる」と「ただの義務・安い労働力」のあいだを行ったり来たりして気づいたのが、分かれ目はたぶん流動性と自律性だ、ということ。つまり、まず、その仕事が出入り自由かどうか。やりたいときにやれて、辞めてもいつでも戻ってこれて、強制されない。そしてその参加はあくまで自分の意思で行っていて強制や参加せざるを得ない空気によるものではない、ということ。この流動性と自律性が担保されているかどうか、が大事なのではないかと思います。
さっきの「義務に変わる」「演じさせられて消耗する」「煩わしくなる」って、よく考えると全部、「逃げられない・辞められない」状況から来てるんですよね。いつでも降りられるなら、嫌な労働には転落しにくい。自分で選べるからこそ、義務ではなく、自分の行いとして感じられる。出入り自由は、仕事と幸福感をつなげる重要な要素じゃないかと思います。
というわけで、今日は河原町の警備員さんから始まって、「幸福度は仕事で上がるんじゃないか、でも作り方しだいかもしれない」という話を歩きながら考えてみました。この記事が少しでも面白い・役に立ったと思ったら、ぜひいいねやフォローをしてくれると励みになります。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!
著者プロフィール
渡邉 寧YASUSHI WATANABE
慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡りマーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い。 経歴と研究実績はこちら。
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