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6次元モデル(異文化を理解するフレームワーク)ブログ歩きながら考える

2026.5.8

論文リジェクトで気づいた、自分の中の強固な「日本語の論理」 – 歩きながら考える vol.283

渡邉 寧 | 京都大学博士(人間・環境学)

今日のテーマは、知らず知らずのうちに思考が日本文化に引っ張られている話。このシリーズでは、筆者が街を歩きながら、日々の気付きや研究テーマについてのアイデアを語っていきます。ふとしたタイミングで浮かんだアイデアや、知的好奇心をくすぐる話題をラジオ感覚で平日(月~金)毎日お届けしています。

こんにちは。今日は朝の時間を使って、ちょっと話したいことがあります。最近ですね、投稿していた論文がリジェクトになったんですよ。研究者としては、もちろん楽しい経験ではないわけですけれど、そこから色々と考えさせられることがあったので、歩きながらゆるく話してみようと思います。

ネガティブフィードバックから気づくこと

投稿してから2ヶ月ぐらい経ってですね、ようやく結果が来たと思ったら「リジェクト」だったわけですね。これ、ネガティブフィードバックなわけです。だから、受け取るのはなかなかタフな経験になる。

ただ、幸いにしてですね、リジェクトされるの慣れてきちゃった(笑)ところがありまして、あまり「自己脅威」としては受け取らないんですね、この手の連絡。「自己脅威」というのは、「自分の能力が足りないんじゃないか」とか「スキルが足りないんじゃないか」とか「そもそも自分には向いてないんじゃないか」というふうに、自分の存在や能力への攻撃として受け止めてしまうことです。こうやって受け取っちゃうと、多分レビューの内容が頭に入ってこないんですよね。

まあ、一応がっかりはしたわけなので、今回は1日おいて、がっかり感がちょっと薄れてきたところでレビュアーのコメントを読みました。しかも今回のレビュアー、二人いたんですけど、すごく丁寧にたくさんコメントを書いてくれていて、リジェクトはリジェクトなんですけど、フェアなレビューだったなと思いながら読みました。

で、そしたらですね、これはちょっと、しくじったなというか、もったいないことしたなと思ったんです。

「内容」じゃなくて「ストーリーテリング」が問題だった

何がもったいなかったかというと、研究の意義付けとか、方法論とか結果の妥当性とか、そういうことに関しては一切コメントがなかったんですよ。逆に言うと、そこは問題じゃなかった。じゃあ何が問題だったかというと、イントロダクションから始まる研究の位置付けのストーリーテリングがものすごくわかりにくい、ということだったんですね。

最初は「わかりにくいなんてことあるか、こんなにわかりやすく書いてるのに」と思ったんですよ。でもレビュアーのコメントをちゃんと読んで、その後に自分の文章を読み直したら、これがわかりにくいんですよ(笑)。

何がわかりにくいかというと、日本語の論理としては普通なんです。むしろ、とてもわかりやすいと思う。だけど、英語の論理ではめちゃくちゃわかりにくい、そういう英文を書いていたんですね。これには大いに反省しました。

「文脈共有のための日本語」と「説得のための英語」

日本語の論理って何かというと、周辺から埋めるスタイルだと思うんです。作文教育では「起承転結」なんて言ったりしますよね。どういう発端で、何が起こって、こういう文脈の中でこういうことは大事かもしれないけれど、こういうことも大事かもしれなくて……というふうに、周辺の描写を話した後に、最後にメインのテーマが出てくる。日本ではこのスタイルって全然普通じゃないですか。

逆に、周辺の背景がわからないのに中心のテーマを正確に理解してもらえるとは思えないから、まず周辺について語る。そういう思考の展開を取るわけです。

だけど、これは英語圏の作文教育とは全く相入れないんですよね。基本的に最初に結論が来るわけです。そして、その結論をどうして自分はそう思うのかという強い根拠を挙げていって、最後にもう一度結論を述べて、読み手を説得する。これが英語のスタイル。

つまり、日本語は文脈の共有と共感の獲得が目的で文章を書いているんだけれど、英語の書き方は説得することが目的なわけです。目的が違うから、構造も違う。そのスタイルから自分の英文を見直すと、わかりにくいというのが一目瞭然でした。

知識として知っていても、無意識のうちに引っ張られる

ここでなんとも言えない気持ちになるのは、こういう話、僕も知識としてはもちろん知っているということなんですよ。文化心理の領域で研究をしていることもあって、どういうメカニズムなのかはとてもよく知っている。

なのに、ちょっと気を抜くと、自分の慣れ親しんだ文化に基づく思考スタイルが前面に出てきちゃうんですよね。無意識のうちに。全然気づいていない。

特に複雑な論文を書くときって、日本語で考えているんですよ。日本語で思考をしているという自覚があって、そうなってくると、文章の構成の仕方も日本語のストラクチャーにすごく引っ張られる。

これはやっぱり、体が日本に長くいるっていうのが大きな原因なんだと思うんですね。人ってその文化や土地の中で生き残らなければならないから、環境からのシグナルと自分の自己調整のメカニズムが働いて、その文化に最適化されていく。これは適応として自然なことなんですけど、別の文脈に出た瞬間、その最適化が逆に足枷になる。

だから、定期的に外に出ないと厳しいなと、すごく思いました。今、円安だしサーチャージも高くなりそうなので、海外に行くのは困難な時代になりつつある気もしますけれど、自分のメンタルモデルに対して揺らぎを発生させるという意味では、外に出ることは大事なんじゃないかな、と。

物理的に外に出られないとしても、何らかの形で自分の思考の鋳型を一回壊す機会を意識的に作らないといけない。専門家ですら無意識にやられるんだから、一般論として「気をつければ大丈夫」というレベルの話じゃないんだろうな、というのが今回の反省です。

というわけで、今回は論文リジェクトの経験から思考スタイル変更の難しさと文化について考えてみました。この記事が少しでも面白い・役に立ったと思ったら、ぜひいいねやフォローをしてくれると励みになります。また次回の「歩きながら考える」でお会いしましょう!

著者プロフィール

渡邉 寧YASUSHI WATANABE

慶応義塾大学文学部/政策・メディア研究科卒業後、ソニー株式会社に入社。7年に渡りマーケティングに従事。約3年の英国赴任を経てボストン・コンサルティング・グループに入社。メーカー、公共サービス、金融など、幅広い業界のプロジェクトに4年間従事。2014年に独立。2025年に京都大学大学院人間・環境学研究科にて博士号取得。専門は文化心理学、組織行動。最近の研究テーマはAIの社会実装 × 職場の幸福感 × 文化の違い。 経歴と研究実績はこちら

プロフィール詳細

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